ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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悲しみの幸せ。

物は近くにありすぎると見えないものだがそれは幸せも同じだろう。その中にいると感じることは出来ない。いわゆる「幸せ」な時が過ぎその「幸せ」を失って振り返った時に、やっと有難味が分かるものなのだ。でも、そもそも幸せとは一体何なのだろうか。不自由なく生活できる環境、温かい家、人から受ける愛、家族の平和。「幸せ」という言葉から受けるイメージは私の中ではピンクや赤、暖色系で、それをイメージしようとすると靄がかかったようなほわ~んとした画像になる。そう、それが幸せだよね。温かくほわ~ん。

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その中にいると幸せを感じることが出来ない一方で、悲しみはその中にいると分かりたくないのに身体全部でそれを敏感に受取ってしまう。幸せは過ぎた時に「あぁ、あの時は幸せだったのに」とその時に幸せを感じなかったことを後で悔やむ一方で、悲しみの良さは過ぎた時に「あぁ、あの時は辛かったけれど乗り切れたね」を感謝出来ることだ。だから幸せも悲しみもどちらも良いことと悪いことを兼ね備えている、本当は同じものなのかもしれない。

一般的に温かくほわ~んなイメージを持つ幸せはだが、何を「幸せ」とするか、それは人それぞれなのだろう。旅行をすることかもしれない。平和な生活なのかもしれない。健康であることかもしれない。美味しいものを口にした時なのかもしれない。私もそれらの時にあぁ、、幸せ~と良く呟く。でも今回は「それらの時」ではなかった。

あぁ、、辛いけど幸せ。哲、幸せを感じるよ。

年末から年始にかけて辛く哀しいことが起こった。自分が辛い思いをしているのであれば自分をコントロールすれば良いからまだ我慢できるのだが、その「悲しみ」は大事な家族の一員の「悲しみ」だった。だから一体どれだけ辛い思いをしているのだろう、、と想像すると、想像力豊かな私の妄想は広がり、とめどもなく可哀想になってしまう。そしてその悲しみはもともと本人が持っている悲しみに余計な想像を付け加え巨大化する。
替われるものならば替わってあげたい。
幸せが人に波及するのと同様に、悲しみももちろん人に波及し一緒に悩むことになる。でもそれが家族の良さなのだろう。1人では無く一緒に悩める。一緒に頑張ろう。

出来事が起きた数日は、何をしていてもそのことで頭がいっぱいになり、眠れぬ夜もあった。そんな辛い時だったのになぜか私は悲しみと同時に深い幸せを感じたのだ。

あぁ、この辛い時を一緒に乗り越える相手が哲で良かった。
哲とだったら乗り越えられる。
こういう辛い時期を、頑張ってくれる哲で良かった。


辛い時こそ、人はその人となりが出ると思う。そして辛い時にも地道に頑張る哲だからこそ、一緒に頑張ろうと言う気持ちになれる。哲の小さな目を見ればどれだけ辛い思いをしているのかは分かる。これが自分だったら鼻と目を真っ赤にし、毎日泣きじゃくっているだろう。そんな辛い日々を哲はぐっと気持ちをこらえて踏ん張っている。
踏ん張り過ぎたら駄目だよ。辛い時は諦めたって良いんだよ。
そう哲に言いながらお互いに励まし合いながら日々は過ぎて行った。

そして小さな光が見えて来た。

人生チャンレンジが無いとつまらないよ。変化のある生活、チャレンジのある生活で良かったね。
夜、テレビを観ながらソファに横になっている哲の頭を叩き、そう呟いた。

悲しみはその時辛くとも、振り返った時、乗り越えられたことを幸せに思える。まだ余裕を持って「振り返る」時点には達していないが、悲しみの中でも幸せを感じることが出来たことに、幸せを感じた。

幸せとは一体何なのだろうか。不自由なく生活できる環境、温かい家、人から受ける愛、家族の平和。
うううん、それだけでは無い。幸せはどんな所にもあるのかもしれない。悲しみの中にも。

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