ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

意味。

生まれ変わったら何になりたい?
バレリーナになりたいなぁ。

数か月前のことだった。ボランティア先の友達が白黒の写真を見せてくれた。写真では止まっているものは、ゆっくりとうごめいているのだろう。
それは新しい命だった。この子はどんな人生を送るのだろう。バレリーナになるのかもしれない。未来を持った命をお腹の中に宿すって一体どんな感じなんだろう。その命を育むというのはどんな感じなんだろう。

どんなに辛いことも時間が解決してくれる。時間の効用に今までどれだけ助けてもらったことか。時間は、その時の辛さを後で懐かしく思い出し、笑い話とまでは行けなくとも、微笑みながら話せる日を作ってくれる。誰の人生もそうであるようにこんな私でも、辛かったことはもちろんあった。でもどれも振り返ると「あの時辛くて良かった。だから今の自分があるんだ。」と思えるようになっている。全ての出来事には意味があるんだ。病気がちだったこと、チリで寂しく辛かったこと、もちろんそれらを思いだす度に胸は痛むが、以前はその話を自分からすることは出来なかったのに、今は隠すことなく自分から話せる。こうして話すことが出来た時、やっと、あぁ、本当に乗り切ったんだぁ。と嬉しくなる。

良いことにしろ悪いことにしろ、何かあるとその出来事にはなにかしらの「意味」があると思っていた。結果論なのかもしれないが、あの時あんなことが起きたのは、その後こんなことが起きるためだったんだ、、などと、人は人生の出来事に意味を見出し、筋道を立てたくなる。私は神さまを信じている。おばあちゃんや天国にいる愛する人達が見守ってくれ、励ましてくれたりしていると思っている。そしてその人たちが、自分が一番自分らしく生きることが出来るように、見えない道に導いてくれているのだと思っている。出来事と出来事の間に筋道を立てて導いてくれているような気がするのだ。不妊治療をしても子供が出来なかったことにもきっと意味があるんだと、私達は数年前に結論付けた。そして、「子供を持つこと」に終止符を打ち、今あるものを楽しむことにした。時間が助けてくれた。今の私は治療しても子供が出来なかった自分を受け入れ、心から素直に、新しくどこかで芽生えている命を喜んであげることが出来る。

考えてみたら子供の時から「子供」が好きだった。小学生の時から自分よりも年下の子の面倒を見るのが好きで、家にはいつもその小さな子たちが「さっちゃん!あそぼ!」と声をかけに来てくれていた。子供の時から「おかあさん」になりたかった。

数か月前に白黒の写真を見た時、久しぶりに心が何かを訴えていた。吹っ切れたつもりだったのに吹っ切れていなかったのだろう。女性として生まれて来たからには命を宿したい。自分の子を胸に抱きたい。「子供がいなくて良かったね」と話すこともある中で、心のどこかにあるその思いは消すことは出来ていなかったのだ。時間が経っても忘れてはいなかったのだ。

哲、やっぱりちょっと悲しくなっちゃった。
なんで幸子には子供がいないんだろう。
こんなに好きなのに。
良いお母さんになれると思うのに。
一体意味はなんだろう。
神さまは何をさちこにさせようと思っているのだろう。


そう、哲に問いかけた私に哲は一言、、

意味なんてないんだよ。と言った。

その素っ気ないとも言える短い文章は、ストンと私の心に届いた。今までは哲も一緒に「子供のいない意味」を考え、きっともっと他に助ける人がいるからとか、私達を必要としている人や動物がいるからだとか結論付けていたのに、「意味なんてない」と哲が言ったのは初めてだったのだ。

肩の力がふぅっと抜けた。
そっか、意味なんてないんだ。
ただ、子供がいないだけなんだ。


DSC_0517 (500x333)

子供がいない私は、一体どのような人生を送るべきなんだろうと、ここ10年くらい、ずっと自分の道を模索し続けていた。
それに何か自分の嫌な部分を見ると、
あぁ、こんなだから神さまは私には子供が育てられないと思って、授けてくれなかったんだ。
と考え、自分が「持てないこと」の意味を自分の中の欠点と結びつけていた。

意味なんてない。

もう、そんな風に思わなくていいんだ。ただ、私達には子供がいないだけなんだ。そうだったんだ。

自分が生まれて来た意味も良く考える私には「ただ、幸せに生きれば良いんだよ」と言った哲のもう一つの言葉のお蔭で、私の気持ちは急に楽になった。

今を生きればいいんだね。幸せであればいいんだね。。後のことも、先のことも、意味なんてなく、ただ「自分として」生きて行く。

40年以上、神様の思惑を伺おうと必死に考えていた私の思考回路を直すのは至難の業だが、残りの人生、「意味を見出さず」生きて行こう。私は私。

全ての出来事にはもしかしたら意味なんて無いのかもしれないが、

でもね、哲と出会った意味はあると思う。

20th (500x333)

こんな私に大事なことをいつも教えてくれるから。

生まれ変わったら何になりたい?
バレリーナじゃない。
生まれ変わったら「母」になりたい。

応援をどうぞよろしくお願い致します!
にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

COMMENT

上野くんの「意味がない」、そうなのかもしれない。
意味がないなら、今を楽しんで、頑張ればいいんだよね…

●せっせさんへ。

せっせさん、

お忙しいのに読んでくださってありがとうございます。
「意味がない」って楽になる言葉でした。
人間は考え過ぎてしまうのでしょうね。哲はあまり考えないタイプです♪(良い意味で♪)

さちこ

●NO TITLE

私も同じような事ずっと思っていました。ですがちょっとそれより前は全く先のことを考えていなく時は止まったまま、このままずっとこうなんだろうなとしか思えませんでした。
でも状況が変わると状況に左右されてしまい今現在の私がいる。
考えの通りでは決してなく、ただこの状況を自分で作ってしまっただけ。
だから私は意味はないと思っています。自分がアクションをおこしてなかったらこの状況もなかったはずです。元々意味はなくただ状況に流れて事がおきているんだなあと最近思っていたところです。
それが絶対幸せかどうかわかりません。人それぞれでだとも思うし、自分が幸せと思えればそれでいいですよね。
幸子さんは本当に幸せそう!!羨ましいです。(^O^)/

●mackmayさんへ。

mackmayさん、

こんにちは。
こちらのブログにも来て下さり、そして丁寧なコメントを本当にありがとうございまSu。
mackmayさんも同じようなことを思っていらしたんですね。

人生は自分の頭で描いた通りに行くものでは無く、行くはずがないのですよね。
なので、いかに柔軟に「人生」を楽しめるかが大切ですね。
頭を使って考え過ぎても、答えのないものは無いのですよね。

自分が自分らしく幸せになることが「この世界に生まれて来た意味」なのかもしれません。

ありがとうございました!!

SACHIKO

●承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

COMMENT FORM

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。