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ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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郷ひろみ

画面に現れたのはぴっちりしたシャツを着た華奢な少年。
マイクを持って笑顔で唄う。

君たち女の子 僕たち男の子 へへヘイ へへヘイ
おいで遊ぼう
僕らの世界へ 走って行こう


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あの少年がこの歌を歌っていた時は私はまだ1歳だったらしい。だから、私にとっての郷ひろみはこの少年と言うよりは「二億四千万の瞳」のあの人だ。爽やかと言うよりは、ギラギラしている印象の彼は「ヒロミー」と黄色い歓声を浴びる対象と言うよりは、「郷」という響きが似合うようなイメージを持っていた。

郷ひろみが他の同世代の芸能人と比較して、今も尚活躍しているとのは何となく知っていたが、どのような活動をし、どんな風な「おじさん」になっているかは知らなかったし、気にもしていなかった。


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“郷ひろみと言う生き方” 60歳のエンターテイナー

NHKのドキュメンタリー番組だ。

アイドルから始まった歌手を取り上げる番組というものは、大抵「どんなに苦労したか」ということに焦点をあてると共に、共感を持たすような意外な一面を見せるというのがシナリオだと思う。そんな番組は大抵観終わった後に、その意外な側面を見て、嫌いだった人も好きになってしまうのが落ちなのだ。でもこの番組は違った。
観終わった後、そしてその翌日までも私の心にはもやもやが残り、「こんなに頑張ったのね~。さすが!」と思うのではなく、「郷ひろみ」という名前を持った彼が可哀想で仕方がなくなっていた。意外な一面を見せると言う点ではプロデューサーの思惑通りなのかもしれないが、この番組のお蔭で私の中の「郷ひろみ」はもはやアイドルではなくなった。体も心もぼろぼろになり、アイドル独特の軽やかな輝きみたいなものを感じられなくなっていた。彼は自分で自分のイメージを作り、本当の自分とは違う「自分」を作り上げ、終わりのないレースに挑んでいた。皺も増えた画面の彼に「もういいよ。休みなよ。」と肩を叩いてあげたくなった。

この年になってようやく、私は自分と向き合う努力をするようになった。初めて「自分とは」と考えたのはいつだったのだろう。典型的な「無邪気な子供」だった私は、恵まれた環境の中、苦労することなく育ったから、あまり深く物事を考えたことがなかった。小学校、中学校は附属だったからか、思春期になってもその(のうてんき)「無邪気さ」は無くならず、幼い気持ちのままで身体だけは一丁前に成長していった。高校生になり、知らない友達、知らない環境の中にいきなり身を置かなくてはならなくなった時、1年3組に入った私はあいうえお順で一番左端の席に座らされ、そして最初の自己紹介も一番にしなくてはならなかった。

足立幸子です。学芸大学付属竹早中学校から来ました。そこでは軟式テニス部に入っていました。どうぞよろしくお願いします。

簡単な自己紹介でも一番手、そして知らない人たちの前とあり、それは緊張したのを覚えている。自分が「誰か」もまだ分かっていない幼い私が「自分」を紹介しなくてはならず、そして卒業学校を言った時に何人かの子が「うわぁ」と言ったのが聞こえた。
「良い学校」として知られている中学校だったからだろう。だからと言って、自分が「頭が良い」訳ではなく、成績が芳しくなかったから、こうしてこの高校に来ているのに。受験校だったその高校では入学式前にクラス分けのテストがあり、私は一番上のアルファー1に入ってしまったから、周りの子からしたら「あの子はあの学校を出たから頭が良くて真面目そう」と思われてしまっても仕方がない。そして、その周りの人が見た自分が「自分」だと思いこんでしまい、高校時代、私は「自分」を出せないままだった。頭が良い子を通し、3年間、アルファー1でしかも3年間、英語読解、英語文法、漢文、古文はそのクラスでも上位5位に入り続け、成績表には優秀な人だけに付く赤丸というのが毎回付けていた。

大学に入り、また違う環境の中、しかも「クラス」というものがない中で、私は居場所を探した。自ら友達を作らなくてはならないとなった時、「自分」を分かっていない私は、どうやって「自分」を紹介して友達を作ったら良いのか分からなかった。とりあえずテニスをしたいと別大学とのサークルに入り、その小さな枠の中でやっと居場所を見つけることが出来た。だから私は4年間、その居心地の良い小さな枠にはまり、テニス三昧だった訳なのだ。結局「自分」と向き合っていなかったのかもしれない。

社会人になった。憧れていた会社に入社することが出来、そして入社式後の懇親会でまた自己紹介の場面がやって来た。大学名なんて関係ないと今は思うのだが、卒業したての大学を言うのが流れで、言わざるを得なかった。こうしてまた高校の時同様に「自分」を見てもらうよりも大学名やそこでしていたことで「わたし」の「イメージ」が出来あがって行ったのだろう。

あれは入社3年目だっただろうか。3年目研修と呼ばれるものがあり、同期全員が3日間集まって研修を受ける機会があった。その中で「自分史」を作るという作業をした。生まれた時から今までの過去を振り返り、どのようなことがどのように自分に反映しているのかを模造紙に書き、そして最後にそれを皆の前で発表するのだ。今だったらパワーポイントなのだろうが模造紙に一生懸命、マジックペンを使って書き込んでいたのを覚えている。
そこで初めて私は、形になる自分分析をしたのだった。

いろいろな出来事を関連付け、そしてどのように自分に影響し、今の性格につながったのか。これからどうして行きたいのか。

人間だれしも「自分」が持っている「自分のイメージ」というのがあると思うが、それは周りの人からの対応や言葉が大きく影響する。特に自分のことを分かっていない私のような人には尚更なのだ。
さっちゃんは○○ね。と何気なく言われる言葉がそのまま「自分」だと思ってしまう。
おばあちゃんが「さっちゃんは優しいわね。」「気が利くわね。」「さっちゃんの一重のすっとした目が好きよ。」と言った言葉は今もそれが「自分」だと思い、そして励まされる。あの頃の幼い私が気づく由もないが、これらの言葉を今も覚えているくらい、人からもらった言葉と言うのは大きく影響するものなのだ。

大人になると人は良かれ悪しかれ複雑になって行く。考える時間がある私は、複雑な人間の心を解しようと自分分析を日常的にするようになっていた。そして「私はこうだからああだ」「こういう所がある」と常に考え結論付けていた。しかし分析すればするほど、自分を勝手に定義付け、がんじがらめにし、自由が効かなくなって行くような気がしていた。そんな時に、郷ひろみの番組を観たのだ。

郷ひろみのドキュメンタリーが放映された後、視聴者やファンの方から届いたコメントがそのサイトに公表されていたようだ。中に

今日、初めて知りました。郷ひろみは、郷ひろみを演じているんだと知りました。本当は、原武裕美が存在して郷ひろみを演じていたんですね。
投稿者:さっちゃん

この「さっちゃん」はまさに私が思っていたことを投稿していた。そう、私はこの番組を観た後、本当の郷ひろみは一体誰なんだろう、と思ったのだ。ドキュメンタリーはその人の素顔を見せてくれることが多いのに、仮面をかぶったままで、結局「郷ひろみ」が誰なのか分からなかった。

自分のことを知るのは本当に難しく、そしてその素のままでいると言うのはさらに難しい。大人になればなるほど、周りの目を気にし、そして持たれてもいない期待にに応えようとしたりもする。
年を取れば取るほど、自然体でいたいと思うのに、年を取れば取るほどそれが難しい。

一体私はどんな人なんだろう。何をしていたら一番「私らしく」いられるのだろう。

三面鏡の台に乗り、懐中電灯をマイク代わりに手に持って歌っていた4歳程度のあの頃の自分を思い出し、あれが私だったのかなんて思う。
そう言えば、先日、中学校の同級生OKIに会った時も、「幸子と言えば歌だよね~。いっつも歌っていたよね~。」と言われたっけ。

さぁ、今日もキッチンで歌と歌いながら料理しよう。
自分で自分を決めつけないように、自然体で。

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