FC2ブログ

ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

失敗の神様。

料理が上手な訳では無いが、出来上がるものを何とか見繕い、それらしく見せるのが比較的得意な方だと思っている。途中で「あぁ、これは、上手く行かないだろうな」と思っても、何とか最終的に「かたち」に持って来れていた。

ある日のことだった。グローサリーストアでローカル産の袋入りのリンゴが良心的な値段で売られていた。そのリンゴは通常売られているリンゴよりもワックスもかかっておらず美味しそうだった。一度その袋を手に取ったものの、何かを作る予定もないし、作る時間もないから今回は止めておこう、、と思いとどまり、レジに並んだ。ところが隣のレジに並んでいる人がその袋を手に持っていたのを見て、

そうよね、やっぱり、それはお買い得よね、、

と思い直し、「ちょっと買い忘れたものがあるから、取って来るので待ってて!」とレジの人に言い伝え、お店の中を直線に走り、リンゴの袋を一袋摑んだら、あたかもバトンを受け取ったリレー選手のようにレジに小走りに戻って行った私だった。

ということで、我が家にはリンゴが山積みになっている。案の定、15~6個は入っている袋のリンゴは毎朝頂いても一向に減らず、やはりこれは何かを作らなくては、、とリンゴを消費する方法を考えることにした。

リンゴを使った料理、お菓子、、、、、食べたいもの、、、何だろう、、

と考え思いついたのは、あのレシピだった。それは作るのに苦労した覚えがあるレシピ、2007年に103歳という長寿で亡くなられた料理研究家の飯田深雪さんのレシピだった。

9 (500x375)

我が家に飯田深雪さんのレシピ本があるのはなぜかと言うと、それは飯田深雪さんのスタジオが実家の側にあり、母が何度か飯田さんを見かけていたため、そのレシピ本をと、お菓子作りに目覚め始めたばかりの私に送って来てくれたからだ。

レシピは今やインターネットですぐに検索できるが、アナログな私はやはり「手で持って読む」本が好きだ。だから、我が家にはたくさんのレシピ本がある。哲と付き合い初めに買ったボロボロになったオレンジページからここ近年のレシピ本まで揃っているが、それらを比較すると最近のレシピ本は、本当に見やすく改良されていることが分かる。読みやすい校正、綺麗な写真、細かい説明、レシピのこだわり、出来上がった料理の保存の仕方、その料理の見せ方。レシピ本と言うのは元来調理する時に見るものなのだろうが、最近のレシピ本はバイブルのように熟読出来る内容の濃さとなっている。そんな中、この飯田深雪さんのレシピ本は写真はあり、見やすいものの、作る工程の説明は、
1計量する 2混ぜる 3焼くにちょっと手が加わったくらいのものだったから、お菓子作り初心者の私はそれはそれは苦労して「かたち」にしたのだった。

11 (500x375)

あのリンゴのお菓子を苦労して「かたち」にした日から、一体、どれだけのお菓子を焼いたことだろう。きっと今、同じものを焼けば、おそらくあの時に大変だと思ったことが「こんなに簡単」と思える自分に成長していることを感じることが出来るはずだ。それも感じたく私は再度、この飯田深雪さんの本に手を伸ばしたのだった。

リンゴを10個剥いた。煮詰めた。生地を用意した。生地を伸ばす。伸びない。頑張って伸ばす。伸びない。形にしようとする。できない。

今まで学んだ全ての知識を駆使しようと、まとまらない生地を前に戦いを挑むかのように仁王立ちになり、考えに考えたが打開策が出なかった。

12 (500x375)

「かたち」にすることを諦めた。

こんなことは久しぶりだった。どうしてこんなにお菓子を焼いているのに、しかも一度作ったことのあるものなのに「かたち」に出来ないのか。
それは凹んだ朝だった。

でも、同じような凹み気分をここ最近、感じて続けていることにふと気づいた。そう、始まりは挽肉だった。

201602160741495c7.jpg

挽肉機を手に入れ、良かれと思って二度挽きした挽肉は、柔らかすぎ、理想のテクスチャーにならなかった。まぁ、そんなこともある。それにしても悔しい。

201602152148537c4.jpg

その後、クリニックの皆さんにと焼いたフィナンシェは、味はよしとしても、気泡が入ってしまい、差し上げるのをどうしようか迷ったほどだった。

7 (500x375)

そして、その後、母がお好み焼きセットをなるものを送って来てくれたからと、お好み焼きを焼くことにした。小麦粉をお出汁で溶き、さらに出汁粉を入れたり、ベーキングパウダーを入れたり工夫した。ふんわりしたお好み焼きを哲に焼いてあげようと楽しみにしていたのだが、自慢げに出した美味しそうなお好み焼きは、いまだかつてないほどにねっとりとしたものだった。
お好み焼きなんて誰でも焼けるものじゃないの?!と自分に叫び、相当凹んだ。そんなことが続いた後のことだった。だからこの挽肉とお好み焼きの失敗は前座のようなもので、リンゴのお菓子でとどめを刺された感じだった。「失敗の厄」が付きまとっている。

料理やお菓子作りが好きで、なんとか「かたち」に出来ると自負していたのに失敗がこう続くとかなり堪える。哲にだけは「美味しい」と言ってもらえるはずだという自信がぐらぐらと揺さぶられ、急に料理をするのも怖くなってしまった。

そしてどうしてこうも失敗が続くのだろうと考えた。

成功とまでは行かなくとも、今まで何とか「かたち」にして来たために、「今回もきちんと仕上げよう。仕上がるはず。」と肩に力が入っていたのだろう。
哲から毎回「花丸」をもらっていた私には、そろそろ失敗が必要だったのかもしれない。肩の力を抜く必要があったのかもしれない。
「厄」では無く、「失敗の神様」が私に降り立ったのだ。

失敗から人は何かを学ぶものだが、この時の私には「学ぶ」よりも「失敗感」を味わうことが必要だったように思う。失敗があるからこそ、「上手く行った時」が嬉しく感じられる。そう言えば、お菓子作りを仕立ての頃は、小さなお菓子を焼いても哲は「すごいすごい」と誉めてくれ、私は「やったやった」と喜んでいた。数年前まではお菓子を作り始めるとワクワクしてくれていた哲だが、今は無関心とまでは行かないが、「何か作るんだね」程度になっている。そして出来たものに対する評価も、きちんとしたコメントをくれるようになり、時には厳しいこともある。
だから、失敗が必要なのだ。だから、本当に美味しいものを作った時に、「美味しい!」と言ってもらえるようになり、それを素直に受け止めることが出来るようになるのだ。

こんな風に「失敗は必要だ」なんて偉そうなことを思っていた夜、小心者の私は失敗を恐れ、基本的な和食を用意することにした。それはそれは丁寧に作って見た。そして「美味しかった!ご馳走様!」という言葉をもらった。
そして私に失敗を味合わせてあげようとしている失敗の神様に「頑張ったでしょ」と呟いたのだった。

13 (500x375)

数日後、簡単なお菓子を焼きリハビリをし、そして「美味しい!」と哲と合唱した。
どうやら失敗の神様は、肩の力を抜かせてあげたい他の誰かの元へ移動したようだった。


にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

COMMENT

●NO TITLE

SACHIKOさん、考えたんですが、このお菓子本、古いんですよね!?
もしかしたら、そのレシピの分量が違っているのかもしれませんよ。
全部じゃなくて、ひとつの材料だけ!それで、生地が難しいのかも。

フランスのレシピ本だったら、今でもよく間違いがあります。
読んでいて、これはうまくできないでしょ?とか、あれ?何か足りないとか思うことがあります。
日本の本ではそれはあり得ないとしても、古いものだったら、校正の仕方も今と違うのでもしかしたら?と思いました。

うまく行かない日はありますよね、誰にでも。
そういう場合には、軽く反省して、次に行けばOKですよね。

そして、今はまた成功して、よかったです♡
学びがあればあるほど、トライアルは少なくなると思います^^
私も日々学習しています~☆ これほんとです!
なので、料理も楽しいです。

●panipopoさんへ。

panipopoさん、

こちらにまでありがとうございます!
panipopoさんのおっしゃるように、そうかもしれません!!
どう考えてもまとまらないので、おそらくミルクの量が足りないのかも、、。
次回作る時は、もう少し変えてみますね。
何だかそれも楽しみになってきましたぁ~。

panipopoさんのお言葉で元気と勇気が出ました♪
日々、学習して頑張ります~~。
学びがなかったら面白くないですものね♪

sachiko

COMMENT FORM

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。