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ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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神さまの言いたいこと。

15年前、アメリカに来たばかりの私は英語を学びに大学に通っていた。国際色豊かなクラスでは「宗教は何?」と良く聞かれ、その度に曖昧な返事を返していたのを覚えている。その後も度々聞かれたが、考えた末に私は「無宗教」と答えていた。

その後、自国をもっと知らなくてはと日本の宗教や歴史の本を読んだり、調べたりし、そして「自分は神道が軸になっている」と結論した。でも、またこの「神道」と言うのを人に説明するのは難しく、結局曖昧な返事しかできなかった。

日本人の多くが心に神様を持っていると思う。そして私もその一人だ。でも経験なキリスト教徒の方が毎日「GOD」に祈りをささげるのとは違い、私の神様は日常生活の中ではなかなか現れず、非日常的なことが起きると「神様だ!」と自分勝手に現れてもらうのだ。それは「あぁ、神様、ありがとう」の時もあるし、「神様。どうしてなんですか?」の時もある。おそらく1年365日の間に、総計すると多く見積もっても1週間ひょっこり現れてもらうくらいだろう。

日々、神様を胸に生活している訳ではないけれど、でも自分に起きるすべての出来事にはなにかしらの意味があり、そしてそれは神様の仕業だと思っている。神様が何かを示唆したい時、神様が「これがあなたにとって良い道なんですよ」と示したい時に、哀しいこと、嬉しいこと、驚くこと、「ありがとう」や「どうしてですか?」と神様に尋ねたくなるような出来事が起きるのだと思う。だからそんな時は、その出来事の意味をじっくり考える。

ブログを書き始めたのは10年前、テキサスでのことだった。自分の心を整理したい、家族に元気でいる様子を知らせ、そしてどんな風に生活しているか見てもらいたい、友達とは空白の時間を作るのではなく常に一緒に歩みたい、という思いから始めた。書くことが大の苦手の私が奮起し「書き始め」、そしてそれは日課になっていった。友達もいなかった私は、友達や家族に語るかわりに口の代わりに指を動かし、誰かに自分の気持ちを打明けているかのようにキーボードを毎日叩いた。そして書くごとに気持ちが落ち着き整理されていったのだった。

今や、「書くこと」は生活の一部となり、私を形成するものの軸となっている。ブログもいつの間にか3つになり、そしてそのうちの2つのブログは写真中心だ。犬を飼い始めて始めたハル日記、そしておべんとうを毎日作る様になって始めたおべんとう日記。どちらも写真が中心だから、生活の一部となっているブログを維持するために、ピンクのデジカメももちろん私の生活の一部となっていた。

DSCN1536_201505310129519f0.jpg

今朝、車で買い物に行った。写真を撮ろうと思ってバッグに手を入れ探っても、いつも手に持っているあの形が見つからない。

哲!カメラが無い!どこかに落として来ちゃったかも!
え?家にあるんじゃないのぉ?本当に持って来た。
うん、本当に持って来たと、、、思う。

以前にも何度となくこんな会話をし、そして何度となくバッグの奥底にあったり、玄関に置き去りにされていた。今日はデジカメをバッグに入れた場面を目に浮かべることが出来るのだが、過去にそういうことが多々あったため、だんだん自信が無くなり、自己暗示のように「家にある」と思うように努め、そして家にあると信じていた。

家に帰って来て、真っ先にあるであろう場所を見たが、、、
無い!

哲!!!無いよ!!!
何千枚と入っているデータが、、、、

私は心も体も崩れ、おいおい泣き始めんとしていた。
買物に行ったグローサリーストアに電話したが、届いていなかった。
まだ愕然としていたその時、仕事に行くまでにまだ時間があるからと、哲が「することはして諦めよう」とまたその店に行ってくれた。でも、やっぱり無かった。

哲から「無かった」という電話をもらった時、私はもう綺麗さっぱり忘れることにした。大したことと思っていることが、大したことでは無いのかもしれない。そして、その大したことでは無いことに、今日一日を凹んで過ごすのはもったいない。それに、私の生活の一部となっているあのピンクのデジカメを神様が私から取り上げたことにはきっと意味があるはずだ。これはブログに没頭していないで違う方向へ目を向けなさいと言っているのではないだろうか。365日のうち、数日しか現れない神様が今日やって来た。

更新が滞っていたブログを書くことも出来ず、でも書けないと分かると「書くことへのパワー」を今日は他のことへ回せる!と、もうすでに気分は違う方向へと走る。むしろ、哲の方ががっかりし、カメラを買おう、次は何を買おうと考えて始めている。

もういいよ。いつかは買うかもしれないけれど、もうブログも書くのやめるからもういいよ。きっと神様がそうしなさいって言っているんだよ。

そして哲を見送った後、いつもだったらブログにあてる時間を、調理にあてたり、家の掃除をしたりして過ごしていた。
午後から仕事の哲を見送り、引き続きキッチンへ行き、トントントントンと包丁を叩いていた時に電話が鳴った。哲からだった。

もしもしぃ。どうしたの?
カメラ、、、、、、、、あったよ!座席の下も探したはずなのに、いつのまにか座席の横からポロンって出て来たんだよ!探したのにどうしてだろう。

私の心はびっくりする。

え???!!ほんと??!!あぁ、、、、、、良かったぁ。。。

もう気持ちは違う方向へ行っていた私だが、その時の「良かった」は、旅行中の楽しいデータを回復できることそして何よりも、私はいつも私の手に握られて、時には落とされ、ひびが入り、セロテープでくっつけられているあのボロボロのピンクのデジカメが可哀想に思っていたからだった。一体どこでポツネンとしているのだろう、、と想像しては可哀想に思っていたのだ。そのカメラが見つかり、どこかで寂しくしていないと思うと、ホッとしたのだ。

哲からの吉報を喜んで受け、そして受話器を置いて、再び包丁を握りにキッチンへ行ったが、、

「はて?神様は一体何をしたいのだろう。」とまた考えた。

この1時間半くらい、私の生活の中心になっていた「ブログを書くこと」一気に姿を消し、そしてまた今、現れた。その1時間半の間、気が楽になったような気持もする。神様は私があまりにも素っ気なく「それじゃぁ、ブログを書くのをやぁめた!」と決断したことに慌て「違いますよ!やめろなんて私は行っていませんよ!」ピンクのデジカメをポロンと車の隙間にまた放り投げたのかもしれない。

デジカメが私の生活から無くなっていた1時間半の間、哲は「ブログを毎日では無くて、減らせばいいんだよ。」と私の極端な決断にアドヴァイスしてくれたが、「うううん、もういいの。」とすっきりさっぱりブログを切り、哲の言うことだと聞かない様子に神様が慌てたのかもしれない。

夕方、哲が戻って来たら一緒に戻って来るピンクのデジカメを今後どのように使って行こう。これから哲か帰って来るまでに考えよう。
神様は今日現れた。次にはいつ現れ何を教えてくれるのだろう。

物分かりの悪い私に神様は手を焼いていることだろう。

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