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ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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からし。

何年生きても世の中は知らないことだらけで、人が学び終えることはない。「学ぶ」と一言で言ってもいろいろな「学習」があり、歴史などの事実やニュースなどの出来事は見たり、聞いたり、読んだりし、自分にその気があれば自分で「学ぶ」ことが出来、知識的に成長出来る。ところが「自分のこと」となるとなかなか客観的に観れず、成長出来ない。自分を知っているつもりでも、知らないことも多く、例え知っていたとしても直すことが出来ない。さらに、気付かないことも多いの。例え、自分が間違ったり偏った考えを持っていたとしても、考えもせずにそれが正しいと思いこみ、誰かに「もしもし」と肩を叩いてもらわないと、なかなか気付けない。でも、人は「気付けない所」を持ち、こうして不完全だからこそそれぞれの魅力となるのだろうが、「道徳的」に間違えていることや常識的なことは「不完全」のままではいけないだろう。間違えた知識を持っていても駄目だろう。

小さい子供は間違えたことをしたら、その都度「それは違うよ」と大人が時には優しく時には厳しく教えてくれる。私も小さい頃はパパが良く注意してくれた。

「人の迷惑になるようなことはしてはいけない」
「使った後は次に使う人のことを考えなさい」
「食べている時に肘はつかない」
「遅刻はしてはいけない。時間は何よりも大事だから、その大切な時間を人から取ってはいけない」


小さな時に何度となく注意されたこれらの言葉は、今の私の中に深く浸透し、そして今でも「パパに注意されないよう」に行動しようと思ったりする。

でもある程度の大人になると、人は「教えてくれなく」なり、そして「注意してもらえ」なくなる。私が最後に注意してもらったのは一体いつだっただろうか。久しく注意されていないような気がする。それは注意されないような行動をとれるまでに成長したからというのではなく、「大人になったのだから、それくらい自分で分かるでしょう」という理由からだ。
うううん、外見は立派な大人になっている私だが、まだまだ注意が必要だ。

誰も直してくれないから自分に出来ることと言ったら「人のふりみて我がふりを直す」ことだろう。自分が見ていて気持ち良くない他人の行動や所作、言い方はその人を批判するより前にまず自分を顧み、そして自分がしないように心がける。でも、これもなかなか難しく、結局人は「直した方が良いもの」を持ったまま成長し、そして凝り固まり「頑固」になるのかもしれない。

しかし、「誰も注意してくれない」と注意されないことを恋しく懐かしんでいるようで、でも、この歳になって人から何か注意されるとそれは堪えるものだ。例えそれが身内からの注意であっても、柔らかい言い方であったとしても、「この歳にしてそんなことに気づいていなかったなんて」と自分が情けなくなり、がっかりしてしまう。そして、今まで長年そういう行動を取って来たかと思うと、恥ずかしくなる。

仲の良い友達夫婦に手紙を送った。何度となく送っている宛先、そして何度となく書いている名前。無事に手紙は届き、そしてお礼のメッセージをもらった。そしてそのメッセージにはお礼の後にこう続いていた。

「それでね…実は巧さんの字が「朽」になってて。今まで言うのためらってたのですが…ごめんね。」

その短い文章を読んだ時、私は本当に大きなスコップで地面に穴を深く掘り、潜ったついでに日本まで行き、日本の国土から顔を出して、ご主人さまに謝りたい気持ちになった。

あぁ、なんてことをしていたのだろう。「いままで」とあるように、「いままで」何度も「巧」の代わりに「朽ちる」と字を愛情を込めて書き記していたなんて!

普段はメールでやり取りをしているため、メールの場合には勝手に漢字変換してくれる。だから、その中から「巧」をきちんと選んでいた。いざペンを取って自分の手に頼ると、頭の中では「巧」と書いていたのに、勝手に手が「木偏」にしてしまっていたのだ。

巧拙・巧妙・巧者・巧手・巧緻(こうち)・・技巧・利巧・精巧・機巧

そうです、あの方は「巧」な方なんです!名前を間違える、しかも否定的な意味を持つ文字と間違えるなんて、友達としてひどすぎる。あんなに自分も自分の名前を間違えられて憤慨したくせに、それ以上だ。

20141025022945c13.jpg

私の名前は日本人であれば誰もが簡単に書ける名前だ。「さちこ」と聞いたらまず「幸子」ですか?と候補にあげてもらえるほど、分かりやすい名前だ。ところが、アメリカに来て、もちろんSACHIKOは通じず、発音すらもしてもらえない。親しい友人は辛抱強く覚えてくれ、そしてHAPPY CHILDと言う意味があるんだと言うと、さらに嬉しそうに覚えてくれる。難しい発音ながらもアメリカ人や漢字を使わない国に住む人にとっては「SACHIKO」という名前は新鮮に頭にインプットしてもらえるのだが、ちょっと厄介なのが韓国人と中国人の友達だった。

彼らに私の名前を漢字で書くと大抵「あぁ、運と言う意味ね。」と言われる。中国では「幸」はふと手に入れた幸運という意味らしく、私が思っている「HAPPY」という意味は薄いようなのだ。それはまだ良い。

韓国人のキョンにSACHIIKOという名前を漢字で書いてと言われた時、メモ用紙に「幸子」と書いてあげたら、

「あぁ、、知ってる、知ってる、その字ね。スパイシーって言う意味でしょ!」
「違うよーー!!それは『辛』!!全然違う!私のは「しあわせ」!!!!」

今は韓国の子供達は学校で漢字を習わないらしいが、キョン世代は習っていたらしい。そしてキョンは嬉しそうに「知っている漢字」から「辛子 からし」を選んだのだ。一体子供に誰が「マスタード」な名前を付けると言うのか?
その後も、同じように韓国人の子には「スパイシー」と思われたことが何度かあった。違う違う違う!!

もし、家に届く手紙が毎回「からし」だったら一体どんな気持ちだろう。そう考えると、私がお友達にした過ちが情けなく、申し訳なく、何てことをしてしまったのだろう。と、反省しても反省しきれない気持ちになった。
そして、この歳になって漢字もろくろく書けない私に、言い辛いことを教えてくれたその友達に心から感謝した。あぁ、なんて良い友達を持ったのだろう。

もしかしたら、日常的にも、私は誰かが注意したくても注意出来ない様なことをしているのかもしれない。10歳だったら注意してもらえるのだろうが、今は誰もしてくれないから、「自分」の過ちや間違えた行動は未知で無限なのだ。

人は大人になると学習スピードが落ちるが、こうしていくつになっても学び成長しなくてはならない生き物だ。そして成長していくためには、誰かからの注意やアドヴァイスが必要なのだ。

201412172142087af.jpg

言い辛いことを言ってくれてありがとう。その友達との信頼感がさらに深まった「学習」事件だった。


そしてついでに自分の名前の「幸」というもともとの意味を調べていたら元NHKアナウンサーであった山根基世さんの言葉に到達した。彼女は漢字についての本を出しているようだ。そして、フェイスブックでは「今日の漢字」と言って一つの漢字を取り上げて説明している。その中から、、

今日の漢字は、「幸(しあわせ)」。
「幸福」の「幸(コウ)」、「幸い(サイワイ)」という字です。
「幸せ」は絵がもとになって出来た象形文字。
絵に描いたような幸せ、と言いますが、
「幸せ」という字がどんな絵をもとにして出来たのか・・・、
そこには、古代中国の人々が過酷な現実の中で見つけた、
ある「幸せ」の形がありました。
古代中国の王朝、「殷」の国…
強固な軍事力に加え、神と心を通わせることができるとされた
殷の王様は、当時、絶対的な権力をもっていました。
そのうえ、重い刑罰で人々を取り締まり、
さらなる統治を進めていったといいます。
その刑罰たるや、残酷きわまりないものばかり。
王の逆鱗に触れた人々は、自らが受ける刑罰の宣告を、
恐怖におののきながら受けていました。
ここでもう一度、「幸せ」という文字の形を思い出してみてください。
実は、「幸せ」という字のもともとの形は、
殷の時代の手かせを描いたものでした。
確かに、中心の空白部分に手首をさしこめば、
ぎゅっとしめつけられて、手の自由が奪われてしまいそうです。
でも、身体の一部をもぎとられたり、命そのものを奪われたり・・・、
そんな極刑に比べれば、
手かせをはめられるくらいのことは、たいしたことじゃない。
いにしえの人々にとって、手かせで済む刑罰は、
これ幸い、思いがけない「僥倖」だったのです。
「幸せ」という字の形を、
中国・殷王朝時代の刑罰の道具「手かせ」と説くのは、
白川文字学でおなじみの、白川静博士です。
白川説によれば、手の自由を奪われることなど、
残酷な刑や死罪などに比べれば、実に「幸せ」なことではないだろうか。
それは、罰を受けるときでさえ、感じとることのできた幸福。
「幸せ」という文字の意外ななりたちに、
いにしえの人々のたくましさが透けてみえる瞬間です。


「幸」が手の足かせから出来た漢字だったなんて、、、、。

いくつになっても学べるのだ。

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