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ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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I AM LISTENING。

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日本語文字も響きも美しい。相手を敬う尊敬語、自分を下げて使う謙遜語、そして丁寧語。謙遜が美徳とされる文化だからこそ出来た言葉なのだろう。銀座の専門店で働いていた時、同期の社員同士でも売り場では丁寧な言葉を使うよう教育を受けた。もちろん、お客様にはそれに輪をかけた丁寧語や尊敬語を使うことになる。若いお客様の中にはこそばゆく感じる方もいたに違いない。でも、丁寧な言葉が自分の口から出る時は「美しい日本語」を感じることが出来、心も美しくなるような気がし、気持ちが良かった。

それぞれの文化にはそれぞれの良さがある。文化を強く反映している言葉もそうだ。私は英語も大好きだ。英語は年齢やその人の職種に関係なく言葉を使えるから、どんな人とでもすぐに打ち解けたような気持になれる。オバマさんに会っても私は普通に話せる気がする。会ったばかりの人に家族のことなどまで話してしまったりするのはきっとそのせいなのだろう。

日本語よりもカジュアルに感じる英語にも、使う助詞、単語や、トーンで相手を尊敬した言い方をすることは出来る。それは卑下する場合もそうで、言葉でそして、トーンで全く意味を変えることも出来るのだ。アメリカで生まれ育っていない私は、「言葉の持つニュアンス」を頭で理解していようとも肌で理解していないと自分で分かっているから、否定的なニュアンスを持っている言葉は特に、例えその言葉の意味を知っていようと、率先して使わないようにしている。間違えて使いたくないこと、そして「外人」として綺麗な英語を使いたいと思うからだ。外国の方が丁寧な日本語を話しているのを聞くと「日本語の美しさをそのまま学んでくれている」と思い嬉しく感じる。そして逆に「やっぱぁ~」「~じゃん」などという言葉を典型的な日本人の顔を持たない人から聞くと「日本語を使いこなしている」と感心すると同時に、なんとも言えぬ残念な気持になる。だから私は「外人」として綺麗な英語を使いたい。

何年アメリカに住んでも、単語をいまだに間違えたり、動詞を間違えたりする日々だが、でも誰も気にしないのはもちろん、注意もしないでいてくれる。そう、注意はしてくれないのだ。

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大好きだったパメラ(←クリック)は、「外人」である私に文法的な間違いの指摘はしないでいてくれたが、でも「芳しくないこと」は指摘してくれた。「HOW ARE YOU?」と聞かれたら「I AM FINE。」と答えると中学の時にミスター伊藤(先生)からきちんと教わったのに、いつの間にかアメリカ人の真似をして「I AM GOOD」と胸を張って言うようになってしまった。そんな私に、「GOODは自分には使わないのよ。GOODなのは神だけよ。」と注意してくれたのがパメラだった。

それからと言うもの、いつものように I AM GOOD と言ってしまうと、空からパメラがあのブリティッシュイングリッシュで「サチコ、また言った!」と注意してくれているような気がし、「あ、ほんと、また言っちゃった!」と心の中で舌を出す。

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ある環境の中に長くいると、周りの人がしていることや言っていることが正しいと思い、もしくは格好良いと思い、真似してしまうものなのだろう。アメリカに来た当初はそんなことしていなかったのに、哲が部屋の中でも野球帽を被っているのを見て、パメラは「あなたもすっかりアメリカ人になったわね」と残念そうに言った。そう、その国の人がしているからと言って、それが正しいこととは限らない。言葉もそうだ。その国の文化を十分に知っていると思っても肌で理解していない私達が「正しい英語」を使い、「正しいマナー」を身に付けるにはお手本になるような人を見つけるのが一番なのだろう。真似しなくてもよいような人に感化されるのではなく、真似したいような人を見つけるのだ。それではそれは誰だろう、、と考え頭に浮かんだのがリンダだった。長年付き合ってもらっている年下の私にも、いつも綺麗な丁寧な言葉で話かけてくれるリンダ。あぁ、そうだ、あんな英語を使いたい。

そんなことを思っていた時に「こんな英語は絶対に使いたくない」と思える人に出会った。それはコンドミニアムのオフィスに用事があり赴いた時のことだった。ドアを入るといつものようにいつもの若い女性が座っていた。私は「GOOD MORNING!」と言ってから要件を話しかけた、、、、その時!電話がなり、その女性は受話器を取った。だから私はは黙って待っていた。するとその人は受話器を肩で抑えながらコンピューターに目を向けたまま私の目も見ずに「I AM LISTENING.」と言ったのだ。

「I AM LISTENING」

こういう状況ももとで時々使われる言葉だが、それは、「聞いてるから話していいわよ。(早く話しなさいよ)」と上からものを言うようなニュアンスを持つ。アメリカで生まれ育っていなくとも、そのニュアンスは私には分かっている。その言葉が彼女の口から出て来た時、私は自分がものすごく小さな人間として見られているような気持になり、その人に相談しようと思っていたことを言う気も失せてしまった。目を見ないで話しかけられたこと、そしてその言葉。あんな言葉は簡単でも覚えたくない。使いたくない。

言葉はとても難しい。人を傷つけることも簡単に出来るし、一方で魔法にもなり、人の心を温めることも出来る。

私は「外人」だからこそ絶対にこのI AM LISTENINGをこの意味で使わないと決めた。リンダのような言葉と言い方を学び、そして「外人」でも温かいニュアンスの持つ英語を話せるようになりたい。

アメリカに住んでもう15年。まだまだ成長しなくてはならない。
人のふり見て我がふりを直し、人を真似して成長しよう。

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