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ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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クラクション。

例え自分が100%正しいと確信していても、誰かに「違う」怒鳴られたら、反発したい気持ちを押しのけてぺこんと凹んでしまう。「怒鳴る」という行為はその理由がなんであれ、とても失礼なことだと思う。言葉の暴力とは、言葉自身が持つ剣を指すことが多いが、そのトーンや音量十分に暴力となると思うのだ。

怒鳴ることは人間の口からだけ出るものでは無い。私が言っているのは車のクラクションだ。交通上、もちろん注意をするために必要不可欠なもので、使い方を間違えなければ有難いものとなるのだが、人間は自分が大きくなると弱い者をいじめたくなるのだろうか。車というに守られて、人は大きくうぬぼれ、不必要にクラクションを鳴らす。そして私はクラクションを聞くと、人が怒鳴っているのと同じような心の痛みを感じる。

車に乗る機会も少なかったこともあり、日本でどのように皆がクラクションを使っていたのかもう忘れてしまった。ここアメリカは車社会。車は生活と切っても切れない関係だ。私は頑張って仮免までは行ったものの(←クリック)の助手席にだけ座ることを選択したが、その横に座っていても、嫌な音は耳に入り、ついでに鎧に守られている中の人物の嫌なジェスチャーも目に入る。もしも、その対象人物が生身の身体で目の前にいたら、同じように怒鳴り、同じようなジェスチャーをするのだろうか。そうとは思えない。それは失礼過ぎるから。

強い者が弱い者をいじめるかのように見えてしまうこれらのことを、私は哲にはしてもらいたくない。哲がいつでも正しいのは分かっているのだが、哲がクラクションを鳴らしたり、アメリカ人のようにジェスチャーをするのは見ていられないからいつも「やめて」と言ってしまう。

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ハルとクルミを連れて散歩する。さちこは不注意だから気を付けなよ、、と良く哲に言われる私だが、この時は車が来ているのをきちんと見て、信号の無い小さな道を待っていた。あの車が通り過ぎたら道を渡ろう。するとその車は徐行し、止まりかけた。
あら、譲ってくれるのかしら?
そう思い、手をあげ、口パクで「サンキュー」と言い渡り終えたその時、その車はクラクションを鳴らし、そして中の人物はアメリカ人が呆れた時に良くするあのジェスチャーをして通り過ぎて行った。

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(画像はお借りしています)
大きな声で叱られたようで、泣きたい気持ちになった。

次の日のことだった。
同じくハルとクルミを連れ、横断歩道を待っていた。右からは左折しようとする車が横目に入っていたが、信号が青になったので私は車が来ないことを確かめながら渡った。するとその車はエンジンをふかし、そしてこれまたアメリカ人がよくするジェスチャー、「注意しなさい」という指で両目を指すジェスチャーをして通り過ぎた。

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(画像はお借りしています)
大きな声で叱られたようで、泣きたい気持ちになった。

その様子を見ていた顔見知りのおばさんは、「何あの失礼な態度!!私だったら怒鳴り返すわよ!」と私をなぐさめてくれたが、喧嘩を仕掛けてきた相手に同じように返したくないから、痛む心のまま、ハルとクルミと一緒にトボトボ歩いた午前だった。

あのね、哲、自分が間違えてことをしていないのに怒鳴られると、内容よりも「怒鳴られたこと」への衝撃で心が痛く、しくしくと涙でるんだよね。と、私はその出来事を、運転席に座っている哲に語った。

人は簡単に人を傷つけることが出来る。それらの人はきっと日常的にクラクションを鳴らしたり、ジェスチャーをしているのだろうが、私はそんな人になりたくない。知らないうちに人を傷つけることのないよう、していきたい。

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