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ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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チリ。

どんなに楽しそうにしている人でも心のどこかしらにきっとがある。そう思える40代になれた。20代の私は挫折も無く、心に傷は無かった。だからどんなに人に「優しくしよう」と努めても、きっとそれは本物では無かったのだと思う。

癒えることなんて絶対にないと思っていた心の傷も、時間と共に癒えるのだと分かった。もちろん時間はかかったが、「辛かったこと」を思い出す回数は徐々に減って行った。365日、毎週、1年のうち半分、毎月、三か月に一度、半年に一度、年に一度、そして今では滅多なことが無い限り思い出さない自分になれた。長かった。

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(画像はお借りしています)

チリ。そう、私はチリに住んでいた。大好きな国。窓から見えるアンデスの山、マンションのフロントのおじさんたちと毎日交わした挨拶、2年間し続けた障害を持つ子供達の病院でのボランティア、「ティア!」と声をかけてくれる子供達の笑顔、看護婦のイサベル、いつ事故にあっても可笑しくないくらいに暴走するバス、大きなグローサリーストア、そこのエンパナーダは最高に美味しかった。私のスペイン語に耳を傾けてくれる優しいチリ人たち、陶器のポマイレの街、海辺の街ヴィミャデルマル、皮を剥かないといけないトマト(←クリック)、美味しい魚介類、温泉、パタゴニア、アタカマ砂漠、、、、数え出したらきりがない。でもそれらの思い出の中にひっそりと辛い思い出が隠れている。チリ、辛い国だったのだ。

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(ポマイレの陶器 画像はお借りしています)

思い出すと思い出は濃くなるものだから、辛い思い出は努力して思い出さないようにする。
あれからもう10年が経つんだ。

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毎晩帰りの遅かった哲、広い家に一人寂しく待っていた。辛い時に一番側にいて欲しいと思う家族は、地球の裏側にいる。ちょっと家族に会いに行こう、、なんて思えない距離なのだ。当時はiPadなどという優れものはなく、家族の顔を見たいと思ったら、それは写真でしか見ることが出来ない。電話は出来るが「今話したい!」と思う時には時差があり、待って待って待たなくてはならなかった。遠いみんなあまりにも遠すぎる。日本にいても滅多に家族に会いに行くことはないと思うが、でも「いつでも会える」と思う安心感がきっと「安心」させてくれるのだろう。3ベッドルームある大きな家で私はいつも「寒かった」。

そうだった、辛かったんだ。久しぶりにチリを思い出し、辛かったことをも思い出す。でも大好きな国だからもう一度、楽しい思い出を作りに行きたい。ずっとそう思っていた。そして、それが今年の年末実現する。
あれから10年。

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そんな時にママからメールがあった。
「只今テレビの番組でチリのサンディアゴの旅番組を放映していて、パタゴニアの氷河やアンデス山脈が大変きれいです。チロエ島を船で旅しています。さっちゃんが以前住んでいたのですね。年末には行くのですね。
写真は只今サンディアゴで流行っている飲み物だそうです。
チロエ島にご主人の転勤て若いご夫婦が寂しい生活を放映していますので、さっちゃんがチリに居たときの生活と重なって胸が痛くなりましたよ。」


ママのメールを読んで涙がぽろぽろこぼれて来た。ママが私の辛さを想像して胸を痛めてくれたと知った時、10年前のあの辛さを理解してもらえたようで、過去の痛みが拭われた。あの時、誰も分かってくれない、、、というよりは、辛いことを辛いと言えなかった自分だったのに、ママは分かってくれていたんだ。
ママ、ありがとう。

チリは私を成長させてくれた国。傷を作って学ばせてくれた国。あの時があるから、今、人の痛みを前よりも分かる私がいる。

さぁ、年末、楽しみだ!
まずはあそこのジェラートを食べたいな!あの人に会って、この人にも会って、あそこも行って!チリ、笑顔で出迎えてくださいね!

10年経ったチリ、10年経った私が変わっているように、きっと変貌しているのだろう。

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