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ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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武藤先生。

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哲がオースティンで東洋医学を学び始めてからというもの、以前のようには西洋医学にお世話にならなくなった。もうかれこれ10年近くはいわゆる「風邪薬」を飲んでいない。だから歯医者に行った後など、痛み止めや抗生物質をやむなく飲まなくてならない時、突然入って来た「異物質」に身体がびっくりし、そして私は自分の身体が自分の身体でないように感じ戸惑ってしまう。哲が無事に大学を卒業し、東洋医学医として活躍するようになってからは尚さらで、私のプライマリードクター(アメリカでは何かあった時、最初にまずプライマリードクターに相談し、そしてその先生が専門医を紹介するというシステム)は完全に哲となった。そしてプライマリードクター哲は、専門医ドクター哲に私を紹介してくれる。

先日体調を崩していたママからメールがあった。ママは不安な時に哲を頼ってくれるのだ。
「哲宏さんのメールが本当に素晴らしいお医者さんに診察して頂いるように感じました。NHKの金曜日夜10時から放映している番組の「ドクターG」とゆう番組が私は大好きなのですが(遅い時間なので観れないので再放送で見ます)哲宏さんのような先生が病気を探して行く番組なのですが哲宏さんはそのようで頼もしいです。なんだかとりとめもないメールですみませんが本当にいろいろ有難うございました。」

誰に誉められたら一番嬉しいか、それは「両親」だ。その親に「自分の夫」を誉め認めてもらえるというのはなんて嬉しいことだろう。
そしてママも頼るドクターUに、私も相談しなくてはならないことが身に起きた。

哲、あのね、耳が痛い。

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それは夏休みの旅行前のことだった。急に、いや、もしかしたらじわじわとだったのかもしれないが、右耳が痛いことに気づいたのだ。すぐに治るだろうと思いながら旅行に行ったが、旅行中も痛みは収まらず、大好きな場所で心は躍るはずなのに、右耳に重しを付けられているような気分で過ごしていた。そして、ふとすると「痛み」が「楽しさ」に勝ってしまい、「折角の夏休みなんだから楽しまなくちゃ!」と耳の痛みを忘れる努力をしながら楽しんでいたのだった。

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もちろん哲は漢方を処方してくれた。そして様子を見ては飲む錠剤を変えてくれた。私はいつものように言われるがままに黒い粒や苦い粒を口に放り込む。そして一週間。まだ痛い。痛みは子供の時によくくなった中耳炎のような痛みだ。あぁ、懐かしい。痛いながらも私はこの痛みを懐かしみ、そしてドクターUに内緒で武藤先生を恋しく思った。

耳が痛い、喉が痛いと言うと、必ず武藤耳鼻科に足を運んだ。家から5分ほどの場所、駅の方に向かって左に入る小道を行くと武藤耳鼻科はあり、白い2階建ての建物の2階が診療所になっていた。なぜかいつ行っても混んでいて、ドアを開けると入口にはたくさんの靴が散在している。まるで神経衰弱のカードのようで、自分の靴の組み合わせを探すのが大変なくらい。そんなあっちを向いたりこっちを向いたりしている靴たちの仲間に自分の靴も押し入れて、そして私はボロボロの子供用のスリッパをはく。正面には小さな窓があり、そこにおばさんが座っている。ママから「落とさないようにね!」と注意された握りしめていた保険証をそのおばさんに渡し、そして窓の下に置いてあるノートに名前を書く。初めて一人で来た時は、これらの一連の作業だけでも「大人になった」気がしていた。そしてその一連の「大人な作業」を終えると、部屋にコの字に並べられている椅子に腰かけ待つのだが、靴の数からも想像出来るように、いつも待ち時間が長いのだ。

やっと来た自分の番、名前を呼ばれて隣の小さな診察室の歯医者さんのような椅子に身体を横たえる。この部屋にも待合室同様、診察椅子を観覧するようにL字型に椅子が置かれ、治療を終えた患者さんがそれぞれその後の治療、鼻に蒸気をいれたり、喉に蒸気を入れたりしながら横たわった自分を眺めている(ように感じる)。自分も負けじと横たわりながら、椅子に腰かけ喉に蒸気を当てている人や鼻を吸引している人を横目で眺める。私は子供の時から風邪と言うと喉を傷めるタイプだったから、なかなか鼻に蒸気をいれる機械を試すことが出来ず、鼻の穴に二股にわかれているガラスの道具を突っ込むと言う恥ずかしい行為にすら憧れを感じたものだった。

診察椅子に腰かけた私はいつもあのバンドが格好良いと思っていた。武藤先生の頭についている銀色のドーナッツを付けたようなヘッドバンド。そのドーナッツを目の上に回し、先生はその穴から耳を見る。その前に私はこちら側から先生の目を見ようとする。耳に近づいてくる時のあまり笑わない武藤先生のあの顔、懐かしい。そして中耳炎の私には、右側に並んでいる薬瓶の中から選ばれた瓶にめん棒を入れ、それを耳に塗ってくれる。その後、液体のようなものを入れてガーゼを突っ込まれる。これでもうすでに治った気がしたものだった。

小さな窓で支払いをする時に受付の短い頭にパーマをかけたおばさんに「髪の毛は洗ってはいけません」と注意され過ごすこと2~3日、私はまだかまだかとその日を待つのだった。

再び耳鼻科に足を運び、そして悪い方の耳を先生に見せる。先生はピンセットでガーゼを取るのだが、、
その瞬間の音が大好きだった。
液体が固まってガサガサと音を立てながら耳からガーゼが取り除かれる瞬間、普通の生活では聞かないようなこの音と感触になぜか胸躍ってしまうのだ。そしてまだ様子を見る必要がある場合にはまた同じ工程を繰りかえしガーゼを耳に詰め込まれるのだが、それもまた嬉しかったりしたものだった。

自分の耳から取り除かれ、ゴミ箱へ放り込まれるまでの瞬時の間にちらりと見たそのガーゼはオレンジ色の液が固まったような様子だったが一体何を入れていたのだろう。今だったら、どんな成分でどんな効果があるのかと哲に相談し怪しんだりするのだろうが、大人になった今の私も、東洋医学に頼っている私も、耳が痛い時はやはりあの治療をしてもらいたいと思った。

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大人になってから通った病院は嫌いで、なるべくならば足を運びたくないのに、子供の時に通った武藤耳鼻科や内科の飯鉢先生の所は懐かしく、「具合が悪くなったら帰りたい、、」と思うのはどうしてだろう。それは疲れている時、体調の悪い時に「あぁ、ママのご飯が食べたい。ママの所に帰りたい。」と思うような気持と同じようなものだ。昔の先生は例え笑顔が無くとも手のぬくもりを通して「手当」をしてくれていたのだろう。飯鉢先生からもらうあの苦い粉薬ですらも懐かしい。

武藤先生は亡くなったとママに聞いたような気がする。耳が痛い私はこの2週間、ずっと武藤先生のことを考えていた。少し良くなったと思えるここ数日、耳が痛くなったことで武藤先生を思い出せたことを嬉しく思ったのだった。

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