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ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

サウナパンツ。


ヴァージニア日記 「えっ?その格好で行くのっ?」

「うん、なんで?だって誰にも会わないでしょ。」最近恥ずかしいと思うことが少なくなってしまった。

大雪降る前にと買出しに行くことにしたトレーダージョーズ。いざ、行くぞっと部屋着から私が着替えたのは部屋着とそんなに変わらない、むしろ部屋着の方が良さそうなユニクロのサウナパンツ。ハルのお散歩用に買った物だった。そして部屋着からジーンズに着替える哲をよそに、私はそのサウナパンツで車に乗り込んだ。哲はそんな私を恥ずかしいと思うのだろうか?そうだとしたら、数十年後にはきっとそんなパンツが恋しくなるよ。


過去にとらわれるのは嫌だ。でも昔のことを思い出すのは大好きだ。「どうぞ思う存分思い出してください」と許されたなら、次々に懐かしい思い出は蘇り、私の一日は思い出浸りで終わることだろう。次々にモクモクと。そんな私が思い出す思い出は、もっぱら日本の家族との思い出、小さい頃の古い家での思い出だ。アメリカに住んでいるために、日本の家族に会えない恋しさを「思い出」で埋めようとしているのだろうか。
ヴァージニア日記 恋しさを埋める思い出。たくさんある。本当にたくさん。今はもう綺麗な鉄筋の家に変わった場所にあった古い古い木造の家にいた自分。一時帰国してももう存在はしないその家で、私は結婚するまで過ごした。あぁ、良くあんな所に住んでいたなぁ。

子供の時、あの古い家が恥ずかしく恥ずかしくててしょうがなかった。どんな友達の家よりも古く「日本」を感じる家だった。友達がたくさんいた私は、誰かのお家に遊びに行くのは大好きだったけれど、誰かを呼ぶのは恥ずかしかった。それは自分の部屋が無かったからだ。柱がありその間に襖があっても、襖を開ければそれは一つの空間となり、部屋自体が存在しない家だった。狭いスペースを典ちゃんと共有し、一メートル先にいる典ちゃんとは意地を張るかのように違う音楽を聴いたりした。畳みというのも恥ずかしかった。そしてベッドではなくてお布団というのも恥ずかしく、ベッドがあるお部屋を持つ友達をどれだけ羨んだことか。天井からぶら下がる和風な電気も恥ずかしかった。

ギシギシ言う階段、あの古びた木の階段も恥ずかしかった。この階段を登ると物干しがあった。物干しで干されたお布団は、ママによって階段の上から投げ落とされた。階段の下に積み重なって落ちた干されたばかりのお布団に顔を埋めるのは大好きだった。太陽の匂い。

階段の下にある襖のドアも恥ずかしかった。ラッキーのせいで襖は破れかけていた。数年に一度、器用なパパが襖を張り替えたりしても、ただ破れが無くなっただけで、私にとっては同じ古びた襖だった。

お庭を潰して増築したスペース、唯一の床のスペースは「応接間」と呼ばれていた。そこにはソファがありピアノがあり、ガラス張りのテーブルが置いてあった。だから、この場所だけは友達に見せても恥ずかしくないと思っていた。しかしその部屋も、もれなく古いダイニングにつながっていた。この部屋にはプッシュフォンではない黒いダイアル電話が置かれていた。大好きなおばあちゃんのこの電話も恥ずかしかった。唯一恥ずかしくない空間を台無しにしていると思っていた。

お風呂も嫌だった。キッチンというカタカナは似合わない、狭い台所の真横にあるお風呂。脱衣所も無くアコーディオンカーテンで仕切って着替えをした。お風呂も相当長い間は古いガス式お風呂で、何かのきっかけでいつもボウボウと火が大きくなり、湯船の横の湯沸し機の小さなガラス窓を何度も注意して覗き気をつけなくてはならなかった。シャンプーを流すために目をつぶっている間に火は大きくなっていたり。慌ててシャワーを止めて火消し作業に入ったりした。お風呂のタイルは古い銭湯のような小石張りで、それも古臭く嫌いだった。友達を泊めてこんなお風呂を見せたくない。友達のお家のお風呂にはシャワーが付いていた。

一階にいると二階で歩いている佳世ちゃんの足音が聞こえた。同じ階にいれば何をしているのかは一目瞭然のこの家は、違う階にいても何をしているか分かる家だった。あっ、佳世ちゃんが下に降りて来る。
ヴァージニア日記 トイレも嫌いだった。小学生低学年までは和式だったトイレは、洋式に変わってもなぜか和の雰囲気を残してくれた。6人家族で共有していたたった一つのトイレ、佳世ちゃんと喧嘩して何度このトイレに閉じ込められたことか。パパに叱られた二人、佳世ちゃんは年下の私にいつも便座を譲ってくれて座らせてくれた。ありがとう、佳世ちゃん。


ヴァージニア日記 玄関の廊下には木の球が連なった簾がかかっていた。とてもとても古臭い簾。どうしてあんなもの吊るしていたのだろう?そして大晦日になると、その簾を磨くのがなぜか私の仕事だった。木の球に付いた黒い脂のようなものを一つ一つ綺麗に磨き取り除く。とてもとても面倒臭い仕事だけど、「さっちゃんは上手ね。」とおばあちゃんが誉めてくれるのが嬉しかった。


ヴァージニア日記 いつでも蛙やナメクジが出てきそうなお庭も嫌いだった。何か出てきやしないかと、恐る恐るつま先で歩いたりした。そんなお庭ではいつもパパが盆栽の手入れをしていた。

こんな家に恥ずかしくて友達なんて呼べないよ。小さい私はいつも心の中で叫んでいた。自分の部屋が欲しい。綺麗なお風呂が欲しい。素敵なトイレが羨ましい。簾なんて無くても良いのに。お庭なんていらない。綺麗なところに住んでいたら、友達呼べるのに。。。


ヴァージニア日記 昔のことを思い出す。恋しさを埋めるために思い出したはずの思い出なのに、私は恋しくて恋しくて苦しくなる。恋しくて恋しくてたまらない。典ちゃんと一緒のスペース、古いお風呂、佳世ちゃんの足音、古い階段、暗いトイレの便座、太陽の匂いのお布団、木の簾、おばあちゃんの言葉、パパのお庭。恋しくて恋しくてたまらない。恋しさを埋めるはずの思い出は困ったことに恋しさを加速してくれる。

私がアメリカに赴任している間に取り壊されたあのお家。あのお家には二度と戻ることが出来ない。壊されているところを見ていないからか、私にはまだあのお家がどこかにあるような気がしてならない。東中野のどこかに。

そしてアメリカ赴任後に「ただいま~っ」と足を踏み入れた今の実家には簾もなく、部屋はそれぞれドアで仕切られている。畳みはママがお茶室にと作ったお部屋だけで後は全てフローリング。おトイレもとても素敵でこんなところに閉じ込められてもへっちゃらだ。お風呂にはもちろん脱衣所があり、暖房が常にきいている。物干しは無いけれど、ベランダがある。台所は無いけれどキッチンがある。素敵なお家、素敵なお家。

不思議なことに、恋しくなることはいつも決まって「恥ずかしかったこと」「嫌いだったこと」だと気付いた。恥ずかしかったことというのは、人間の気持ちカテゴリーの中でかなりのインパクトを与えるのだろうか?

そう言えば、、、、幼少時代どころか大人になってからのことも思い出すことが出来ない少ない思い出を持つ哲が覚えていること。それは高校の入学式の時のこと。学ランのどこに校章をつけていいのか分からず、入学式に付き添ったお母さんに「お母さん、みんながどこに付けているか見てきてくれる?」と聞いたそうだ。みんなと一緒でないと恥ずかしかったのだろう。もちろんお母さんは「情けない!そんなことにこだわりなさんなっ!」と一蹴したそうだけど。

恥ずかしかったことが恋しくなること。たくさん恥ずかしい思いをした分、たくさん恋しい思い出がある。あの家はどこにあるのだろう?またあの家で文句を言いたいな。「○○ちゃんのお家には洗面所にもシャワーが付いてるんだよぉ。」って。
ヴァージニア日記 私の家ではないパパとママの新しいお家。お風呂のシャワーはもちろんだけど、洗面所にも朝シャンが出来るようにシャワーヘッドが付いている。一体ママとパパだけが住むこの家で誰が朝シャンをするというのだろう?思春期の頃に私が文句を言っていたから、付けてしまったのだろうか?

サウナパンツでお買い物。恥ずかしいと私は思わないから、私の思い出にはならないけれど、きっといつか哲が「そういえば、あの時、、、、」ってピンクのサウナパンツをはいて野菜を取る私を思い出して恋しく思ってくれるのだろうか。




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