ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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真美子ちゃん。

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多くのコンサートやライブに足を運んだことはあるけれど、彼女の演奏は何かが違う。情熱的にジャズを激しく奏でたあのHIROMI(←クリック)とは全く違う。

生活はで溢れている。耳を澄ませば何かしらの音が耳に入って来る。例え音がなかったとしても、それぞれの出来事には音があるようにも思う。ドラマや映画の効果音のように、その場を盛り上げるような音楽がいつでも奏でられているような気がする。

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ハルとクルミを手にする散歩で青い空を首が痛くなるほど反り見上げては「あぁ、今日もなんて綺麗な空と雲なんだろう。」とため息ながらに呟く。毎日日記を書いている私は「今日も綺麗な空♪」と書く。

本当はプログラムに載せていないのですが、この曲を今日はどうしても演奏したかったのです。
ワシントンDCに到着した日はとてもきれいな空でした。真っ青な空に雲が流れていました。私のピアノダイアリーの中で「雲」という曲があるのです。人の人生も雲のように流れ消えて行くのかな、、なんてことを思って書いた曲です。聴いてください。


彼女は私が「綺麗♪」としか言えない空からこれだけの音符を生み出すことが出来るのだ。会場に登場した時に華奢な体を見て「まぁ、なんて可愛らしい子」と思った彼女の細い腕と綺麗な白魚のような指からは、「雲」がきれいに浮かぶ「空」が目の前に飛び出してくるような音が生み出される。冗談のような私の日記だが、それでも毎日日記を書いているから、何かを見ると私の頭にはいつも「言葉」が浮かんでくる。彼女は何かを見ると、そして体験すると言葉の代わりに「音符」が浮かんでくるのだろう。なんていう才能だろうか。

目を時折細めたり、見開いたりしながら、1つ1つの言葉をゆっくりと、そしてたどたどしい口ぶりで話す彼女からこんな音が出るなんて想像もしていなかった。今まで私がいろいろな意味で感動した他のアーティストと彼女が何が違うのか。それは誰もが感じるような出来事や体験を、音にして表現してくれているということだった。だから、すんなりと自分もその音に包まれて、「あぁ、そうそう、あのことね。あんな空ね。」と共感できることだった。びっくりするような「事件」ではなくて、普段何気なく思ったり、考えたりすることを。いつも耳にする風の音、鳥の鳴き声、虫の声、食器を洗う音、水を流す音、時には二階から聞こえてくるアイーダちゃんの足音(←クリック)のようなものまでも。亡き勘九郎さんのドキュメンタリードラマの音楽を彼女が担当したと言っていた。寝る時とトイレにいる時以外は全て撮影して良いと許可を出して20年間貯めたフィルムらしい。彼女が担当したのがとても分かる。生活の音。

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彼女、平井真美子さんの演奏は私をすっぽりと包んでくれた。私の体も一緒に彼女の世界に受けいれてくれた。HIROMIの演奏は私に力をくれたが、時には力を奪われる。でも彼女の演奏は力なくして聴くことが出来た。

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笑うとさらに可愛くとがる顎と三日月のような目が印象的な真美子ちゃん。数々の映画やドラマ、そしてCMの音楽を作り世界に活躍するすごい人なのだろうが、姪っ子を見守るような気持にさせる可愛さが彼女の魅力だと思った。

(と、思ったら、私と5歳しか違わなかった!!)



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童神。

バンドメンバーが出て来た。静かに席に着き楽器を構える。そしてすぐにあの独特のリズムを持った沖縄の音楽が奏でられる。と言っても私は沖縄には行ったことが無く、「沖縄音楽」っぽいと特定の音楽にレイベルを付けることが出来るが、実際の沖縄がどんな所か、そして昔ながらの沖縄音楽が何たるかを分かっていない。私が日本人と分かると「僕たちは日本が大好きなんだよ。沖縄に行ったよ。」と言われることが多く、その度に、「あぁ、行ってみたい。やはり日本人として一度は行かなくちゃ。」と思うのだが、小さな日本であるのに、その中にはあまりにも魅力的な場所が多過ぎ、しかも日本にいる時間が日本人として極端に短い私達はなかなか沖縄までたどり着けないでいる。

4人のメンバーによる沖縄音楽がしばらく流れた後、舞台右側から鮮やかなピンクの衣装を身にまとった女性が出て来た。夏川りみ

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あの派手な衣装も沖縄民族衣装なのだろうか。普通の人が来たらチンドン屋のように思われてしまいそうなあの衣装も、可愛らしい丸顔のはっきりとした顔立ちの彼女にとてもしっくりあっていて、自分も着てみたいとまで思えてしまう。薄い顔の自分が来たら、それこそチンドン屋になるのだろう。その彼女が身体をゆらりゆらりと左右に揺らしマイクに一歩近づいた。もうすぐあの声が耳に入る。

見たこともない沖縄の水の色のように澄んだ声、細くて高くて心地よく。海の波と言うより、静かな水に残る波紋のように、徐々に心に浸透する声は耳を傾けなくても前のめりにならなくても、背もたれに背を付けたまま体で聴くことが出来る。彼女の身振り手振りは声同様柔らかく、手の動きも音のように心に入って来る。一曲目が終わった。歌が終わると小さな舞台なのに「アメリカ」の大きさに緊張しているのか、はにかむように「サンキュー」と彼女は言った。そんな可愛らしさを見せる彼女は数年前に子供を産み、今は3歳の坊やの母だと言う。そして彼女が二曲目に選んだ曲は日本でも有名であろう『童神』だった。



天からの恵み 受けてこの地球(ほし)に

生まれたる我が子 祈り込め育て

イラヨーヘイ イラヨーホイ

イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐゎ)

泣くなよーや ヘイヨー ヘイヨー

太陽(てぃだ)の光受けて

ゆういりよーや ヘイヨー ヘイヨー

健やかに 育て



知っていたメロディだが歌詞をじっくり聴いたのは初めてだった。歌詞を聴き、彼女が赤子を抱きあやす手の動き、視線の柔らかさを見て、私は涙をこらえた。流れるような優しい動き、声。それを胸に深く感じ涙をこらえているの私が日本人だからだろうか。赤子が抱かれている様子を想像し、母である彼女の姿を見、歌を聴きながら私はふと自分の母であるママを思った。私がこうして今、心で歌を感じることが出来るのはママがそう育ててくれたからなのかもしれない。

毎日の散歩で見上げる青空に感動し、写真を撮っていると「何撮ってるの?」と知らない人に尋ねられる。あたかも「一体そこに何があるというのか?」と言うように。雪が溶けやっと芽を出した雑草の黄緑色を嬉しく眺めることが出来るのも、この世の中は美しいものでなんて溢れているのだろうと事あるごとに「うわぁ。」と思わず声に出してしまうのも、ママがそう感じる心に育ててくれたからなのかもしれない。ある人が感動するものを見ても感動しないかもしれないが、そのある人が感動しないものに美しさや素晴らしさを感じることが出来る心を持たせてくれたことに急に感謝したくなった。

今この世界に同じ時間を共有し、同じ空気を吸っている何億という人それぞれ感じるものは違うのだろうが、この歌を聴いて、あの仕草を見て、感じることが出来た自分が好きだった。

まま、ありがとう。これからも、この先も、たくさんの感動を胸に感じ、生きていきます。

うっとり。

物事を敏感に感じ取りながら生きて行きたい。五感をフルに使って日々の生活で様々なことを存分に感じ取りたい。(←クリック)
美味しい、楽しい、嬉しい、そして時には辛く哀しい、でもまた元気になり、幸せを感じ、感謝して。
実際そんな風に生きていることが出来る今、生活に不満があるなんてとても言うことが出来ない。十分満足している日々を送っている。そう、満たされた生活を送っているのは確かだが、、、
でも、何かまだ満たされていない感覚があるような気がする。そして、私はある日叫んだ。

哲っ!うっとりしたい!そう、うっとり!そうだ、そうだ、何が必要なのか分かった!うっとりする時間だっ!
???????
最後にうっとりしたのはいつだろう。。あ、和参かなぁ(←クリック)。
それは『美味しい』じゃないの?
うん、そうだけど、味覚と共に、あの雰囲気にうっとりしたんだもん。
あぁ、うっとりしたいなぁ。。それがリラックスにつながるような気がする。


そう気付いた数日後のことだった。
我が家のイヴェント係りは哲。私はいつも哲が計画するイヴェントに消極的に参加するタイプの人間だが、これを見た時はイヴェント係りを申し出た。

哲、これ行きたいっ!
ケネディセンターだって!


バレエ、ロミオとジュリエットだった。

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いろいろな物に未だ憧れを持ち、この年になっても将来何になりたいか夢見ている少女の気分でいる私が、ずっと密かに憧れを持っているものは実はバレエだ。しかし、憧れを持っている私の体は、小学校、中学校の体力測定では前屈で+17センチという記録を持つほど体が固く、バレエはそんな自分には到底縁の無い物だと思っていた。いや、+17センチでは実際無理だ。それなのに、一番大好きな映画ビリーエリオット(日本語では『リトルダンサー』)に触発され、何を間違えたか、チリにいる時にバレエにどうしても挑戦したくなり、小学生の時よりもさらに固くなっている体を引き下げて、バレエ教室に乗り込んだ。
何も経験の無い私がいきなりバレエ。周りは経験者ばかりの中、鏡を見ながらアンドゥトロワァと足を曲げたり伸ばしたりしている自分の姿は、漫才以外の何物でも無かった。無料体験ということで2~3度通ったものの、翌日にはものすごい筋肉痛になったりして、そしてもう二度とあの無様な自分の格好を鏡で見るのを珍しく恥ずかしく思い、諦めたのだった。

それほどまでに憧れを持っているバレエ。広告で見たジュリエットが取っていたポーズは、同じ人間とは思えないほどにカーブが美しく、しばらく放心状態でと眺めるほどの物だった。

ビリーエリオットに例を観るように私は映画はハッピーエンドしか観ないことにしている。映画の世界と現実を切り離すことが出来ず、映画を観るとしばらく気持ちを引きずってしまう私の心は、とても悲劇対応には出来ていないのだ。バレエは観たいけれど悲劇という所で迷いはあったが、あのジュリエットの姿を生で観たいがために、私達は土曜の夜、着飾った観客で賑わうケネディセンターに足を運んだのだった。

哲はストーリを知らず、始まる前に急いで目録を読んでストーリーを把握した。
そして、

これは哀しい話しだね。
そうだよぉ、哀しんだよ。絶対に泣いちゃうよ。。号泣しちゃうかも。あぁ、やだなぁ、アンハッピーエンド。。
大丈夫だよ、死んでも幕が閉じたあと、生き返って二人で手をつないで笑顔になって戻ってくるから。映画だったら死んだままだけど、生き返るから。

哲のそんな役に立ちそうにないアドヴィスに妙に納得し、暗くなった観客席の前に浮き上がってきたステージに胸躍らせた。

言葉が無いのに言葉以上に伝わってくる動き、、、ステージを舞うジュリエットは息を呑むほどに美しい。3部に分かれた長い舞台だったにも関わらず、私は前傾姿勢になったまま、最後の最後まで楽しんだ。まさにうっとりした時間だった。心が体がとろけそうだった。

次の日も、そして次の日も、その「とろける気持ち」は持続し、そんな今、自分は全ての感覚をフルに使っているように感じた。
そして、私がバレエを試みたことも相変わらず覚えていない哲に聞く。

ねぇ、今からバレエ始められるかな?
始められるんじゃない。
ほんと?物になるかな?
ある程度はなるんじゃない。
ある程度じゃなくて、本当に物に出来るかな?

あのチリでの姿を思い出し私はその夢を捨てた。
そして、その代わりに生まれ変わったらバレエを踊れる人になりたいと思うことにしたのだった。


シーザーミラン。

22年前のことだった。
大きな夢を抱いて一人のメキシコ人がアメリカの地に命をかけて渡ってきた。当時の彼は20過ぎ、もちろん違法移民。渡った先には家族はもちろん住む所も無く、高架下で過ごす日々だった。でも彼には夢があったから頑張れた。
「世界一のドッグトレイナーになりたい」
そして、20年後、、、

彼は世界一のドッグトレイナーになっていた。

シーザーミラン。

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(画像はお借りしています。 ここはメキシコとアメリカをつなぐ通路。シーザーがアメリカに侵入してきた道)

シーザーミランに会い(←クリック)、こみ上げてくる興奮と気持ちを綴りたいとコンピューターに向かったのに、どう書いて良いのか分からない。こんなことは初めてだった。あまりにもいろいろな気持ちがありすぎて、何から初めて良いのか分からない。指が動かない。

彼のことはハルを飼い始めてしばらくしてから知った。最初はギラギラしたあの瞳を何とも胡散臭く思い、食わず嫌いならぬ知らず嫌いで敬遠していたのだった。ところが、旅先、時間を持て余して仕方なく観た彼の番組を観て以来、ぐんぐん彼の魅力に引き込まれることになった。最初は彼のトレイナーとしての才能に。

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私たち人間のせいで悪評を得ることになってしまった犬種はいくつかある。その中でも未だトップとも言える悪評を背負わされているのがピットブルという犬種だ。私達が住むヴァージニアではその悪評をある程度塗り替えることが出来ているけれど、実際10数年前まではピットブルがシェルターに運ばれると、そのまま殺傷処分されていたと言う。今では私がヴォランティアをするシェルターはピットブルウェルカムシェルター、そして実際に、たくさんのピットブルが家族を見つけ、そしてその家族に幸せを与えている
シーザーが住むカリフォルニアではまだ多くの期限付き保護しか出来ないシェルターが存在し、そしてその犠牲の中にはもちろんピットブルがたくさんいる。シーザーは「ピットブルでもこんなに忠実な愛犬になれるんだ」ということを証明するかのように、右腕にしていた犬は初代ダディ、ピットブル、そしてダディが死んだ後はその後同じくピットブルのジュニアを携えている。
人間のせいで凶暴に変化してしまった犬をリハビリするために使うシーザーの方法は時には手荒く見えるものがあるから、シーザーの方法を批判する人も数多い。シーザーに首ったけな私は、恋は盲目、最初は全てシーザーが正しいと思っていたけれど、あれはシーザーだから出来ることで、一般人が生半可に出来る技ではないということを最近は感じている。シーザーには犬を瞬時にして見抜く力があり、どのように対処すれば良いのか、その犬ごとに診断できるのだ。同じ「凶暴」な犬でも扱いは違い、同じ「ナーバス」な犬でも扱いは違う。まさに哲が中医学を以って患者さん一人一人に違った診断をするように、シーザーも1匹1匹それぞれに診断を下す。だから同じ「ナーバス」な犬だからと言って、シーザーがその犬にしたと全く同じようにはハルには出来ないということがわかったのだった。シーザーの方法が一般人が扱うには限度があると分かっても、やはり私は彼が好きだった。

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(ラバールアーリントン 画像はお借りしています)
私の中でシーザーは笑顔輝くアイドル的存在だった。私の胸には哲以外に4人のアイドルがいる。
歌手の槇原敬之、元アメフト選手のラバールアーリントン、イギリス人シェフのジェイミーオリバー、そしてシーザー。まっきーとアーリントンは偶然から出会うことが出来、そんな彼らに私は大胆にアプローチすることが出来た。そして、この日、残るシーザーにも私は会えるという夢を果たした。

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シーザーは今や有名人、セレブとして扱われている。ラバールアーリントンが持っていたと同じようなキラキラした存在感オーラをシーザーも持っているのだろう、そう思っていた私はシーザーを目の当たりに見、その考えを大きく変えなくてはならなかった。握手をしたあの手、こちらを見たあの目から今まで会ってきた有名人とは違う特別な物を感じ取った。いくら野獣な目をしているラバールアーリントンだって、あの動物的な匂いを持っていない。シーザーの乾燥した固い手から、そして自分を見つめたあの目から、今まで彼が通り抜けてきた苦労を瞬時に私は察することが出来た。この人は他のセレブとは違う人間だ。

セレブリティというのは誰だって有名になるためにそれなりの苦労をし、そして一般人とは違うオーラを持っている。しかし、シーザーのオーラは他のセレブリティとは違う苦労から発せられている。命をかけて苦労し、犬と共に野生的に生き抜いて来たから持っている精神力、あの目にたった3秒見つめられただけで、私は心の中まで見透かされているように感じた。犬は人間よりもさらに敏感に察する動物だ。この人は普通の人ではない、自分たちと同じように辛い思いをしたことがあり、自分たちの気持ちを分かってくれる人なんだと、シーザーを受け入れるのだろう。

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(画像はお借りしています。シーザーがアメリカに渡って一ヶ月、過ごした屋根の下)

彼は普通の人では無い。
私の手にはまだあの固い触感が残り、そしてシーザーに見つめられたあの瞳を忘れることが出来ない。
「哲、シーザーは人間ではなくて、動物なんだよ。」
シーザーはもはやアイドルでは無くなった。畏怖の念で尊敬する人物。彼を心から尊敬する。

現在、彼はトレイナーとしても活躍しているが、シーザーミランファンデーションという組織をつくり、不幸な結末を送る犬の数を減らすべく尽力している。ペットショップで犬を飼うことはパピーミル(小犬大量生産。ここでは親犬は次々に子供を生むことになり、そして必要最低限のえさしか与えられず、住む環境はゴミ箱の中のよう)に力を貸すのだということを人々に教育し、これ以上犬が増えないように去勢手術を推進し、NON KILLシェルターを一つでも増やすように世界中を駆け回っている。
いつか日本も理想的な犬の世界になることを私は願う。そのためにはシーザーのような大きな力が必要だ。いつか私もその中の力の一つになれるよう、、。
それが私の夢だ。

さぁてと、私の心の中の男性陣、残すはジェイミーオリバーだけになった!さぁ、いつ彼に接近できるかなぁ。

4歳の子供。

4歳の子供は大好きなおもちゃで楽しそうに遊んでいる。自然にあふれる笑顔、「うわぁ、このおもちゃ、こんなことも出来るんだ!」と発見したり、「ほら、見て!こんな風にも遊べるんだよ!」と今度は傍観している大人に自慢したり。4歳の子供はそのまま、そう、そのまんま大人になって、今、私の目の前のステージに立っている。

ジェイクシマブクロ。ウクレレ奏者。夜に外出するのが苦手なこの私が楽しみにしていた夜のライブだった。彼と初めて出会ったのは4年前(←クリック)。あれから4年、ステージに4年前同様ピョコンと飛び出して来たジェイクは、4年前同様、親しみやすい笑顔で現れ、アロハ~と挨拶した。あ、少し大人になった。やはり4年の歳月で、少しだけ貫禄が出たように思った。

143という暗号は「I LOVE YOU」を意味するらしい。高校生の時にインスピレーションを受けたというそんなタイトルの可愛らしい爽やかな曲から彼のライブは始まった。最初のポロンという弦の音と共に、私の心は一気に彼の世界へ引き込まれていく。なんてピュアな音。一つ一つのピュアな音がいくつも重なって、そしてクライマックスに従って、4本の弦だけでとても演奏しているとは思えない複雑な音色が飛び出してくる。

BLUE ROSEという別の曲は入院している友達のおばあちゃんの幻覚から出来た曲だと言う。友達のおばあちゃんは毎晩、入院しているベッドの上から青いバラがぶら下がっているのを見ていた。私だったら、ただ「まぁ、可哀相なおばあちゃん。。」としか思わないだろうに、ジェイクは「うわぁ、それは綺麗だね!青い花びらがぱらぱらと上から舞い落ちてくるのを考えただけで嬉しくなる!」と思ったのだ。おばあちゃんに良い話をSHAREしてもらったと喜ぶジェイク。そしてBLUE ROSEの曲を聴いている間、私の頭の中にも青い花びらがハラハラと本当に舞い降りてきてくれた。

どんなミュージシャンの演奏も生で聴くのが一番良いのは当たり前だけど、ジェイクの演奏はさらにライブで光る。彼の曲は彼らしいユーモアのある曲紹介に始まって、彼の動き、表情、観客との間の取り方全てで成り立ってもいる。演奏している間は茶目っ気のある顔を作ったり、曲に入れ込んで目をつぶり、自分が作り出している音に聞き入った表情をしたり、ピョンピョンと縦に跳ねて嬉しそうに奏でたり。ジェイクの演奏を目で見、耳で聴き、自分が日ごろ使っていない五感の一部をを敏感に使っていることに気付き、今ここにいる幸せを深く深く感じた。
彼が有能であるからこそ、人々は魅了されるのだろうが、でもそれだけではない。何が他の人と違うのだろう。あ、ジェイクは日本人。
皆が愛さずにはいられない彼の個性に、私は日本人の良さを見た。コミカルな表情は日本人コメディアンのような表情だし、何よりも、こんなに能力を持っているのにそれを鼻にかけず謙虚である姿勢。アメリカ人ミュージシャンのライブでは見ることが出来ない彼の個性。
「次はですね、あの大御所のクイーンのボヘミアンラプソディ。。おぉぉぉぉ、、緊張するぅぅぅぅ。。出来るかなぁ。。。」そして大きく息を吸った時に、観客のおばさんが「JAKE! YOU CAN DO IT!」もちろん、JAKEに出来るに決まっている。でも、そんな声をもらって肩を下ろし、よし、頑張るぞ!という風に始めたボヘミアンラプソディは、誰もが息を呑むほど素晴らしいものだった。

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4歳の子供はそのまま大人になった。そして、その大人な4歳の演奏を聞く私たちの心も彼の曲を耳にして子供のような純粋なものに戻ることが出来た夜となった。ありがとう、JAKE。

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