ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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幸子。

誰かに大切に思ってもらっていると感じるのは、自分が誰かを大切に思い愛していると認識するより当たり前だが難しい。自分はめい一杯愛情を持って接しているのにどうして、、と思ったことが、まだ青々と若い自分には多多あった。「気持ち」と言うのは目に見えないから、いくら相手が「めい一杯」の気持ちをこちらに送ってくれていても、それが何かの形をなって表れない限り気付けないことが多いのだ。

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だからなのだろう。贈り物はもらうのも嬉しいし、誰かを思って選ぶのも嬉しい。これで自分の気持ちが「形になって」届くと思うとワクワクする。そして、逆に家族や友人から海を越えて届いたものは、自分のために選んでくれ、そして手間をかけて届けてくれたと思うと嬉しくなる。届いた物も自体が嬉しいのはもちろんだが、でも、本当のところ「その物」が無くても「その物に乗って来た気持ち」を思うだけで胸の中にほんわかと陽が照るのだ。そして胸からその温かい気持ちがじんわりと溢れ、体に、顔に現れる。笑顔になる。

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日本に帰国しようか迷っていた。哲が背中を押してくれ、そして両親は快く両手を広げてくれた。16日間という長い滞在中、みんながどれだけのことをしてくれたのかは痛いくらいに分かっている。両親がしてくれた一つ一つの心使い、哲が笑顔でお留守番をしてくれたこと、目に見える「物」や「言葉」になっていなくてもそれは十分に伝わって来ていた。
しかし、実際に言葉を見た時、痛いくらいに持っていた感謝の気持ちはさらに痛みを増し現れ、その気持ちと一緒に涙が出て来た。

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哲宏さん、長い間幸子を日本に帰国させて頂きまして有難う御座いました。
哲宏さんはお仕事とハルちゃんとクルミちゃんのお世話で大変でした事と思います。
幸子を成田までお見送りに行けず、パパと私で新宿駅の成田エクスプレスのホームまで一緒に行きました。
私達は歳の為でしょうか。さっちゃんには何もしてあげれませんでしたが、私達は幸子の細いながらも元気な姿に安心いたしました。
私達はこれから歳と共にいろいろな事がありご心配やご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんがどうぞ宜しくお願い致します。
どうぞ哲宏さんお体にはくれぐれも気をつけて疲れないようにしてください。
ブログの哲宏さんが少しスマートになって幸子がいない為に食事面でご迷惑をおかけしてしまいました事すみませんでした。
成田空港の幸子からお電話をもらいました。
本当に有難う御座いました。
無事ワシントンに到着する事を祈っています。


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お母さん、哲宏です。
こちらこそ、幸子が長い間お世話になりました。私の方は幸子の作り置きのおかげで何とか大丈夫でした。
少し痩せたかもしれませんが、それは食事では無く、毎朝仕事の前に長めの散歩をしたせいだと思います。だから良い痩せ方です。
幸子のフライトは定刻通り出発したようです。今日は仕事を早めに切り上げて迎えに行きます。
また無事に着いたらご連絡しますね。
それではありがとうございました。お父さんにもよろしくお伝えください。
哲宏



ママが私のことを「幸子」と呼んでいた。呼び慣れていないからなのだろう。文章の中で「幸子」と「さっちゃん」とママ自身も交えて使っているが、ママが私を「幸子」を呼んでいるのを文面だとしても私は初めて聞いた。普段は「さっちゃん」と呼ばれるのが好きなのに、この時「幸子」と呼ばれたことに「ママに守られている」という気持ちを強く感じ、ママの子供なんだと改めて思えた。ママの温もりを感じた。

帰国は何年かごとにしている。十数年前に帰国した時は、ちょうど劇的に痩せていた時で、その帰国の折りはパパとママにどんなに心配をかけたことだろう。パパが病院にまで付き添ってくれたりもした。あの時は日本に数か月いたのに、友人にも会う勇気と元気も無く、数か月の滞在で会った友人はほんの2人だった。そして、ほとんどの時間を一階の畳の部屋に敷きっぱなしにしていた布団の上で寝ていたのだ。冬だった。痩せていたこともあり、寒くて寒くてしょうがなく、そんな私にママは足湯を作ってくれた。だからママが今回のメールで「幸子の細いながらも元気な姿に安心いたしました。」と言っていたことが本当に嬉しかったのだ。自分の健康には自信を持ちつつあったものの、ママに太鼓判を押してもらい、あぁ、やっと元気になれたんだと思えたのだ。

大切な家族が知らない所で「私」についてやり取りしている様子を読み、愛されていることを言葉でさらに知ることが出来私はなんて幸せなんだろう、、と思った。今回の帰国は哲、そして両親の助けがあったからこそなし得たのは分かっているが、言葉で家族の支えを目の当たりに見、感謝し尽せない気持ちとなったのだ。

日本に帰国する前は、哲が1人で生活することはもちろん、自分が1人で日本に渡り、帰国前に組んだ予定をこなせるか不安だった。今回は1年半ぶりと比較的短いブランクだったために、「絶対に必要なタイミング」の帰国では正直なかった。でも、今までした帰国の中で今回の帰国は大切な帰国になり、「絶対に必要なタイミング」の帰国だったのだと思えた。気持ちの上で今までの自分、これからの自分、家族、大切なものをはっきりと感じることが出来、これからどうしていったら良いか分かったような帰国だったのだ。

パパ、ママ、ありがとう。
哲、ありがとう。

みんなに守られている。幸せだ。

幸子を帰国させて頂きましてありがとうございました。

そう私は「さっちゃん」である前に「幸子」。
幸せな子。就職活動の面接で名前の由来を聞かれた時に「これからは人を幸せにする子になりたいです」と言ったが、やはり私は「人からたくさんの愛をもらい幸せにしてもらっている」子なんだと思った。

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凹んでいる部分。

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人間を「明るい人」と「そうでない人」という大きな二つのグループに分けるとしたら、私は「明るい人」だと思う。「さっちゃんは心配症だから」と姪っ子に心配されるくらい心配症ではあるけれど、「楽天的な人」と「悲観的な人」に分けるとしたら「楽天的な人」なんだと思う。時々加速し過ぎ、イノシシと化し猛進することもあるにはしても、前を見ていることには変わりないから、前向きとも言える。

人は単純なようで複雑だから、もちろんそんなに簡単に二つのグループに分けたところで収まり切れない性格がある。そう、人は複雑なのだ。人のことはもちろんのこと、自分のことくらいは全て分かっていると思っていても、自分のこととなると客観的に観ることが難しくなるから本当は分かっていないのかもしれない。人にはいろいろアドヴァイスしたり、こうした方が良いよ、大丈夫だよ、、なんて言えるのに、それが出来ないことの方が多いのだ。だから、今や私のことを誰よりも理解し分かっているのは、「私」では無く、もうすぐ20年連れ添うことになるあの人なのかもしれないと最近思う。

大きなグループでは「明るく」「楽観的」グループに所属し、基本的に前向きな私だが、ものすごく些細なことで凹むことも良くある。人間は複雑だから。ところで、凹むというその文字は、書いているだけで凹んでくるものだと思った。この漢字を最初に書いた人はすごいと思う。「凹」という漢字の通り、私はここ数日、陥没し、凹んでいた。

自分の努力が足りないことが分かっているから凹んでいるのかもしれない。こういう結果になっても最善を尽くさなかったのだから致し方ないと思っているから凹んでいるのかもしれない。とにかくいくつか「私」を凹ませる小さな出来事が続いていた日々だった。「凹んだぁ~」と口にしていなくとも、発する「気」で私のことを一番理解しているあの人はきっと分かっているのだろう。お弁当、ご馳走様!美味しかった!という職場からのメッセージの後に、哲はこう続けた。

いろいろ上手くいかないこともあるけど、毎日に感謝していこう!!

毎日一緒にいて、同じような言葉をかけてくれていても、文字になって送られて来たその文章は深く胸に入って来た。

口からの言葉の方が伝わりやすいこともあるが、なぜか今回はこの文章が「口からの言葉」よりも心に入って来た。
それはいつもの軽いやり取りの中で、滅多に書くような文章では無かったからなのかもしれない。もし、口から言われたら「分かっているんだけどね」とその後自分で言い訳のように付けたしてしまっていたかもしれないが、でも今回は文章で送られて来て、そして哲から送られて来た一方的な文章は、ここで完結させることにした。

そう、まさに「いろいろ上手くいかないこともあるけれど、毎日に感謝していこう!!」なのだ。

オーブンも壊れ、その他自分がらみのことでも凹ませてくれるような小さな出来事が続いていた日々だったから、その「凹」の凹んでいる部分を、哲の言葉が満たしてくれて、まっすぐな気持ちになることが出来た。

面と向かって言われていたら「分かってるんだけどね」と返していたであろう私は、その代りに絵文字で返事をした。

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はい!分かりました!
さぁ、前を向いて頑張ります!
さぁ、夜ご飯作りましょう!



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すーぱーひーろー。

さちこ、あのダウン、洗ったの?
うううん、洗ってからしまおうと思って忘れないように置いてあるだけ。

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着るとキン肉マンのような風貌になる時代遅れな厚みのある、腕が曲がらなくなるようなダウンジャケットは、ゲストルームのベッドの上に洗濯されるのを待って放り投げられていた。私は何でも家で洗濯をする。ダウンはもちろん、スーツもコートも。ママに言ったら「洋服が駄目になちゃうわよ!」とびっくりされたが、アメリカのクリーニング代は高く、いちいち出していられない。

あのダウン、ポケットにおやつが入っているんだよ。
え?なんのおやつ?

私が日本にいる間の雪の日にハルとクルミを連れて公園に行った哲を思い出し、2人のおやつだと思っていた。哲はポケットをさぐりその「おやつ」を取り出して、寝室の棚の上にポンと置いた。

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え?シリアルバー?ハルのおやつじゃないの?なんで?
うん、サバイバルおやつ。
なんの?
幸子を迎えに行った時に、雪で閉じ込められた時のために。
私のため?
うううん、自分のため。雪で空港に辿り着けず車に閉じ込められた時の場合に備えて。

アメリカに向けて日本を発つ前日のことだった。、ワシントンDCエリアの大雪は確実なものとなり、日本を出るその朝には、哲から降り始めたと報告を受けていた。飛行機は飛び立つのだろうか、哲は迎えに来られるのだろうか。

最後に哲と会話した時、「本当に迎えに行けないかもしれないよ。もし空港を出て俺がいなかったらタクシーで帰って来てね。」と言われた。雪だから仕方がないと分かっていても、哲にすぐに会えない、一人で帰らなくてはならないと思うとショックで「えーーーーーー、、、。」と大きな声をあげたが、後から落ち着いて考えたら「雪で事故にでもあったら大変!」と大人になり、「雪が降っていたら迎えに来ないように」と哲に向けてママにメールを打ってもらった。

ワシントンDCから遠く離れた成田では、もちろんDCの雪は想像できず、私は二匹の世話をしながらお留守番をしてくれていた哲を思い最後のお土産を買いこむ。そして飛行機は定刻に無事に飛び立った。機長からはDCの雪のことに触れたアナウンスもあり、最悪の場合は他の空港に着陸し待機になるのかもしれないと腹をくくっていた私は、無事にワシントンDCのダレス空港に着陸した時、チリ人がするように一人でも拍手をしたい気持ちだった。窓の外は吹雪。本当に良く着陸出来た。

ところが着陸してからが問題で、滑走路からゲートまで飛行機が動けず雪かき作業を待たなくてはならなかった。その後も雪のために荷物用カートを動かせないらしく、荷物を受け取るまでには時間がかかりそうだったから、私はコンベアの横にカートを付けてそこへ座り待つことにした。あ、そうだ、iPadのメッセージ機能で哲に電話しよう。

そう思い機内持ち込みの大きなボストンバッグからピンクのカバーのiPadを取りだし開くと、もうすでに哲からメッセージが入っていた。

来てるよ!

その4文字びっくりマークにじわっと眼元がうるむ。

あぁ、、来てくれたんだ。
危ないから来ないでと言っておきながらも来てくれたらどんなに嬉しく、どんなに助かるか。
心の片隅でそう思っていた私だったから、その4文字の言葉を見た時は、誰かにこの喜びを表現したく、横にいる人に「聞いてください!主人が来てくれたんですよ!」と告げたい気持ちになった。そして恋人に会う少女のように急に胸がドキドキし、カートに座る私は数百メートル先にいる哲を思い、もう一人ではないと心が緩やかになっていった。

まだ周っていないコンベアの上に腰掛け直し荷物が出てくるのを待つこと1時間半。その1時間半を、疲れ短気な私が待つことが出来たのもきっと哲がいると分かったからだ。荷物がやっと手に届き、出口を出る。目の前にたくさんの人。皆、誰かを待っている。私はその人混みの中から哲を探す。

あ、いた!キン肉マン!

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もうすっかり冷めてしまったコーヒーを手に持っている哲が待っていた。
あの笑顔。哲のあの笑顔。こんなにほっとさせてくれるものがあるのだろうか。

お帰り。
ただいま。

さぁ、お家に帰ろうとたくさんの荷物を運び、外に出ると空港の駐車場も大変なことになっている。本当に良く来れたねぇ。。
キン肉マンのダウンジャケットのポケットに、サバイバル用のシリアルバーを突っ込んで迎えに来てくれた私のスーパーヒーローはきっと相当迷ったに違いない。これしきの雪は大したことでは無いと空港に簡単にやってくる人もいるのだろうが、ポンコツ車の哲にとっては一大決心、疲れた私を救ってくれたスーパーヒーローのキン肉マンなのだ。


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駐車場で吹雪の中、じっと待っていたポンコツHARU号の窓がなぜか全開だったとしても、きっとそれは焦っていたから。
車内は冷え込みシートに雪が積もっている様子を見て、スーパーヒーローになり切れない哲を心で笑い、座席の雪を払いほっと腰掛けた。

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哲、ありがとう。雪の中、車に閉じ込められた時用にポケットにシリアルバーを入れてくるほどの覚悟で迎えに来てくれたんだね。
帰国後1週間して知ったその事実に私はコーヒーを手にしていた哲のあの笑顔を思い出し、心がオレンジ色の温かいぬくもりで満たされた。
どんなに格好悪くても哲は私のスーパーヒーロー。

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さぁ、もぬけの殻の着ぐるみを洗いましょう。おやつはもう入っていないかポケットの中を確かめて。

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花に名前が付いた日。

私が買物をしていた間、哲はハルとクルミを歩かせていた。店から出てくると、ちょうど3人が駐車場に戻って来る頃だった。そして、買ったものを車のトランクに入れていると哲が言った。

「幸子に見せたい花があるんだ。」
「ふぅん。どんな花?」
「何だか不思議な花で、一つの花なのに色が違うんだよ。」
その説明を聞いてどの花だか分かるところが長年の夫婦なのだろうか。
「あ、その花、知ってる!」
「見に行く?」

歩いて行けばすぐに見られる花なのに、まずはこの午前の目的としていたハルとクルミのえさリサーチをしたいと、ドッグ用品専門店へと車を走らせてもらった。

目的を済ませ、そしてその専門店付近を散歩する。きっと哲は私に見せたかったのだろう。その花がある方向へと自然と歩いて行っていた。

「哲が言っていた花ってあそこにある花でしょ!」
「そうそう!」

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やっぱり私が思っていた花だった。一つの花なのに真ん中と外側で色が違う花。野の花では無く、ガーデニングなどに良く使われている花。でも、私は名前を知らない。

「不思議な花だよねぇ。ずっと前に不思議に思って写真撮ったんだよ。」

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あれから何度も見て、私にとっては取り立てて今わざわざ写真を撮る花ではなくなっていたが、でも「哲が私に見せたいと思った」ことが嬉しくて、何枚もその花の写真を撮った。

なんてこと無いいつもの朝、突然花束をもらったような気持だった。しかもその花束は立派では無いけれど、哲がどこかで摘んで来てくれた素朴な、でも優しい花束。
この朝、哲が見せてくれたその花は、名無しの花から「哲が見せてくれた花」という名前になった。

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あ、哲、あそこにも「哲が見せてくれた花」が咲いてるよ!

「ありがとう」の返事。

幸子さん、近々お時間とっていただけますか? ワンコ無しの状態で幸子さんとお話ししたいのです。
(ワンコとはご自分の犬のこと)

以前働いていたベイカリーの先輩からメールが届いた。

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アルバイトも含めると今までいろいろな仕事したことがある。しかし、アメリカでの初めての「有給職」ということもあるのだろうが、ベイカリーでの仕事は人生の中で最も大変な仕事だった。経験無い自分が、「接客が好き」「人が好き」「何よりもお菓子やパンを見ているだけ幸せになる」という理由で街の人気ベイカリーで働くことが出来たのは全てこの方のお蔭なのだ。
あれは正月明けの冬の朝だった。飛び込みで「仕事ありますか?」とベイカリーに聞きに行った4年前、ベイカリーのマネージャーの手元には応募してきている10以上の履歴書があると言うのにその方の押しのお蔭でマネージャーはその場で私を採用してくれた。異例なことだった。

研修を終え働き始めてからも、アメリカで働く大変さを身に沁みて感じながら必死になっている私を常々ケアしてくれ、厳しくそして温かく見守ってくれた。もうあれから年月は流れているが私にとっては昨日のことのように鮮明な体験で、思い出す度に「お世話になったな」と感謝せずにはいられない。

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そんな先輩からの連絡だった。来週にでも、、、と連絡したが、少しでも早い方が良いような印象を受けたからハルを連れての散歩の途中、先輩と話をすることにした。清々しい土曜の朝、心地良い空気の中、図書館前の広場に腰かけ「どんな大事なことなのだろう」と少し緊張しながら待っていた。

いらした。

幸子さん、わざわざお呼び立てしてすみませんねぇ。今日は幸子さんにお礼を言いたかったのです。
ありがとうございます。

「ありがとう」という5文字の言葉は「おはよう」のように発音するのは簡単だが、「おはよう」とは異なり告げるタイミングは自分で決めなくてはならず、そして変なプライドや意地があると伝えそびれてしまうこともある難しい言葉でもある。そんな貴重な言葉「ありがとう」は、40年以上も生きていればたくさん頂いているがそのほとんどが「どういたしまして」と返すことが出来る『ありがとう』である場合が多かった。

プレゼントをありがとう。

お手紙ありがとう。

犬の世話をしてくれてありがとう。

ボランティアをありがとう。

美味しいご飯をありがとう。


どれも「どういたしまして!」と嬉しく笑顔で返せる「ありがとう」。

しかしこの日、私が先輩から頂いた「ありがとうございます」全く身に覚えが無く「いえいえ、どういたしまして」なんて嬉しく返すことが出来なかった。

「え?どうしてですか?私が何をしましたか?お礼を言いたいのはこちらです。」
「いえ、幸子さんには本当に感謝しているんです。いろいろな意味でありがとうございます。お顔を見てお伝えしたかったんです。」

今、考えても一体自分が何をしたのか身に覚えが無い。「どういたしまして」と返すことも出来ないのがプレゼントを頂いて何もお返ししていないような気分で何だかもどかしい。でも、気付かぬうちに自分が誰かに何かしてあげることが出来たのだ思うと嬉しく、そしてそれに対してわざわざ呼び立てて顔を見て「ありがとう」と言って下さったことが、まだカーディガンを着ないと寒い土曜の朝、心を温めてくれたのだった。

どういたしまして、、は返せませんが、素敵な朝をありがとうございました。

「ありがとう」の返事は「ありがとう」。




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