ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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栄養以上。


いってらっしゃぁ~い。
今日もよろしくお願いします。

今日はなに?
あ、お弁当。(サンドウィッチやパスタサラダでは無いという意味)
ありがとう。
うん、でも詰めただけなの。
詰めただけじゃない!
はーい。

そして哲を見送る。

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国が持っている文化はその国独自のもので、郷に入れば郷に従え、アメリカに入れば日本の文化を周囲の人に押しつけるのは無理があるのだろう。しかし、国際化により他国の文化の理解も深まり、嬉しい波及が起こっている。誰かが家を訪れて来る時、10年前は「靴を脱いでください」と言えない空気が漂っていたが、最近では自ら靴を脱いでくれたり、工事の人は靴カバーを持参してくれたりするようになった。世界の文化がアメリカでどのくらい浸透しているのかはその国の文化を知らないから分からない。でも、はっきりと言えるのは「食」に関する文化は行き来しやすいためか、ハンバーガーの国アメリカにもかなり及んでいると言える。実際に典型的なアメリカンレストランの数よりもその他の国の料理を出すレストランを合わせた方が数が多いだろう。メキシカン、南米料理に始まって、イタリアン、フレンチ、もちろん和食、中華、韓国料理、ベトナム、タイ。ウイグルレストランまでもある。

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(写真はウイグル料理)
ひいき目だからなのかもしれないが、いろいろな食文化の中でここ1~2年の日本食に対する注目度はかなりのものだと思う。今まで日本食と言えば「SUSHI」「TEMPURA」だけだったのが、数年前から「RAMEN」が脚光を浴び、そして食材にしてもDASHIやYUZU、NATTOまでもが取り上げられるようになった。それと共にBENTOというのは今までレストランで出す松花堂弁当のような容器に入った詰め合わせを指していたが、本来の「BENTO」を意味するようになって来ている。雑誌やインターネット配信のニュースでは、子供にこんなBENTO BOXを持たせてあげましょう!という特集を良く見かけるようになってきた。

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私は料理が好きだ。人種のるつぼであるアメリカに住んでいるお蔭でいろいろな食材、そして各国の料理に触れることが出来、それらを見る度にワクワクしては自分で作ってみたくなる。もちろんそんな実験を伴うような「料理」も大好きなのだが、自分らしさを出して私が心から料理を楽しんでいるのは、お弁当を用意している時だろう。あの小さな箱に気持ちを詰める楽しさ、相手が食べるのを見ることが出来ないから余計にワクワクするのかもしれない。お弁当を作る時は、相手のことを思いながら、栄養を考えながら、彩を考えながら、食べやすさを考えながら作る。家の食卓で出す場合とは異なり、温かいものと冷たいものを一緒にいれることが出来ない。だから日々の夜ご飯よりも難しいと思っている。日々の食卓に出す料理よりもよっぽど「気」を使うのだ。だからこそ、お弁当は特別で、そんなお弁当文化を海外の人にもっと知ってもらいたい。BENTO BOXを推奨し、子供達にお弁当を用意してあげようという流れは嬉しい流れだ。でも、それらのどの記事どの「BENTO」を見ても、「日本のお弁当」とは明らかに違い「お弁当の真義」を分かってもらえていないこと、いや分かり得ないのだろうと残念に思ってしまう。

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良い悪い、どちらが優れている劣っているというのではない。日本人は何を入れたらバランスが良いかということを、脳みそをフル回転させなくても分かることが出来る人種なのだと思う。それは「感覚」であって「数値」では無い。15年以上前にアメリカに来て驚いたのは、グローサリーストアで買い物をする人たちの多くが裏のラベルを眺めていることだった。今まで日本でそんな人を見たことが無かったし、もちろん自分もしたことが無かった。ある意味、とても健康意識の高いアメリカで、数値に則って「食」を考えるのが好きな人たちなのだ。

炭水化物 〇%
タンパク質 〇%
ビタミン
塩分
脂質

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とても分かる。とても分かるのだが、数字に則って「詰めた」ものを「BENTO」と呼べるだろうか。もちろんこれを用意する母親は子供の栄養を考えて選んでいるから「詰めただけ」では無いのかもしれないが、でも違う。これでは「気持ち」が入らない。私がお弁当を作る時にもっとも楽しみにしている「気持ち」が。おにぎりを握る時に入れる気持ちが。お弁当は栄養以上のものなのだ。

和食が広まっているアメリカだが、「お弁当」の真髄は理解されないのだろう。言葉では伝えることが出来ないもの。だからこそ、それが「文化」なのかもしれない。その国のその国民にしか感じることの出来ないニュアンス。

いってらっしゃぁ~い。
今日も忙しいんだよね。頑張ってね。

うん。今日は何?
あ、おべんとう。あ、でも詰めただけ。
詰めただけじゃない!

そうだね。

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詰めただけでも気持ちも一緒に詰めたおべんとう。
いってらっしゃい。
今日もよろしくお願いします。


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コミュニケーション。

ラッシュ時の車からはイライラが発散されている。人々の大らかさを感じることの方が多いアメリカだが、住むエリアが都市に近いからなのだろう。郊外や他州に比べ人々は急いでいる人が多い。

あ、今日もまた。あんな風に鳴らしたってしょうがないのに。

ハルとクルミを手にのんきに散歩している私の耳に「ぶーーーーー!」と言う大きな音が響いた。車のクラクションだ。

音が出るものは全てコミュニケーションのツールの一つとなる。車のクラクションは「危ないですよ!」「そっちに行きますよ!」「注意してください!」と気付いていない相手に教えてあげるための『ことば』であるはずなのに、言葉同様に間違えて使われることが良くあるのだ。
相手が気づいているのに、もしくはそんな風に強く鳴らさなくても良いのに(言葉が悪くすみません)「何してるんだ!」「ふざけるな!」「どけ!」と口で怒鳴る代わりにハンドルの真ん中を勢いよく押す。これはクラクションの悪用だ。赤の他人に口で同じことが言えるだろうか。通りすがりに軽くぶつかっただけでもすぐにエクスキューズミ―と言える国なのに、車という鉄の兜に守られると人は大きな態度になるのだろう。これはコミュニケーションとは言えない。

ではコミュニケーションとは何だろう。

「人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達」と簡単に説明されている辞書が多いようだ。しかし、情報が伝達されればそれをコミュニケーションと呼べるかと言うとそうではないのではないか。「意志の疎通」「心や気持ちの通い合い」「互いの理解」が起きてはじめてコミュニケーションが成立した、と言えると思う。
だから車のクラクションに関わらず、怒鳴って言葉を投げつけるのは、そこにお互いに意志疎通や心の通い合いが無いからコミュニケーションとは呼べない。

ところでもちろん辞書での「コミュニケーション」は人間を前提としているが、犬中心に生活している私にとって、犬をコミュニケーションの枠からはずすことは出来ない。そう、動物同士がコミュニケーションを取れるように、犬と人間もコミュニケーションが取れるのだ。

ある日のことだった。
おそらく仕事に行く前で急いでいる時だったのだろう。2匹の犬のリーシュを手にアジア人の女性が芝生の上を歩いていた。犬達はもたもたと歩いている様子から、もう相当の年と見てとれる。1匹の犬が疲れたのかその場で座った。するとその女性は、
ヘイ!何してるのよ!立ちなさい!カム!とその犬に怒鳴ったのだ。
そこに犬とのコミュニケーションは無かった。ただ怒鳴り、ただ引っ張り、犬は解せない様子で仕方なく立ち上がった。そしてとぼとぼと歩いた。

ある日のことだった。
その犬は他の犬に過敏に反応してしまう犬なのだろう。ハルとクルミを見ると吠え、そして向かってこようとした。犬がこちらに興味を示している間、ずっとその飼い主は、「NO!NO! SIT! NO!」と、ずっと「NO」を言い続けていた。
そこに犬とのコミュニケーションは無かった。NOという強い響きは犬を落ち着かせないどころか、かえって興奮させてしまっていた。
これは私もしていること。

ある日のことだった。
その犬も他の犬に過敏に反応してしまう犬だったのだろう。ハルとクルミに気付くと、飼い主はトリーツを見せ、SITと優しく言った。犬はまだハルとクルミを見ていたが、また飼い主はトリーツをちらつかせ落ち着いた声で「SIT」と言った。犬がトリーツに反応した。そして座った。「GOOD GIRL!!」トリーツをあげた。まだ座っている。「GOOD GIRL!!!」トリーツをあげた。私は目で飼い主に挨拶をし、横を通り過ぎた。「GOOD GIRL! GOOD JOB!」しばらくその人は座って誉めていた。
そこには犬とのコミュニケーションがあった。飼い主が何をして欲しいかをトリーツを助けに理解させ、そしてその犬は行動に移した。飼い主は誉めた。犬は喜んだ。

あぁ、そうかぁ。これが犬とのコミュニケーションなんだ。

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頻繁に「NO」を使っていた私はそれからと言うもの、NOなどのネガティブで感情的な言葉や言い方を控えるようにしている。これがなかなか難しい。きっとハルは「一体何が起きたんだろう」とNOと言わない母のことを不審に思っているのかもしれない。クルミに至っては自分の名前は「KURUMI NO」だと思っているかもしれない。

人のふり見て我がふり直せ。
自分の様子は客観的に観ることが出来ないからこそ、人を自分と思って見、学ぼう。

さてと、そろそろ重たい腰をあげて車の運転の練習をしなくちゃね~。
クラクションは鳴らさないように。
鳴らされないように。

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カウントダウン

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この日が来ることを数か月前から心の中でカウントダウンしていた。カウントダウンと言う言葉には何かワクワクするものが伴うが、今回のカウントダウンはワクワクでは無く、いよいよだ、いよいよだ、、という寂しさと不安が伴っていた。

哲が政府系機関で働いていた時は、数週間の出張は当たり前のように年に何度もあった。日本にいた時は、危険を伴う国への出張は心配はしていたものの、一人になるという寂しさと不安は全く無かった。それは仕事を持っていたせいかもしれない。チリでは一人ぽっちがさらに一人ぽっちになったから、孤独感に襲われ寂しい思いはしたものの、哲の出発をカウントダウンして不安がることは無かった。なぜなら、、、

必ず帰って来ると分かっていたから。

槙原敬之がガン検診啓発キャンペーンのために作った歌に「新しいドア」という歌がある。以前も紹介したが、その歌の中の一部の歌詞に、毎回諭される。

「どれだけ長く生きるかは 神様だけが知ってる
でもどんな風に生きるかは 僕らが決められる
天国に旅立つ日の前に 少しだけでも 余裕があるといいよな
茶の間から聞こえてくる 僕を呼んでる声」
 槙原敬之

天国に旅立つ日が分かっていたなら、人はもっと上手に生きることが出来るのかもしれない。哲が倒れ天国に行きかけたことは私の中から拭い忘れることが出来ない出来事だから何度となく書いてしまうのだが、あの時、ERで哲を励ましながら、哲と一緒にし残したこと、これからしたかったことを思ったのを覚えている。○月○日に倒れますよ、、と神様が教えてくれていたなら、一分一秒だって無駄にはしなかったのかもしれない。直前に行った旅行でへらへら笑っている自分を見ると、何とも言えない気持ちになり、景色が綺麗でもその旅行の写真を見るのは辛く、複雑な気分になる。哲が倒れた時には「無事に戻って来るか」分からなかったから、朝一に病院に出かけ、夕方まで哲を看病し、1人家に戻って来た時に感じた寂しさは例えようのないものだった。夜は電気を付けたまま寝た日々だった。

3月に哲が帰国することになった。日にちもしっかり決まっている。神様は今回は○月○日に哲は遠くへ行きますよ、と教えてくれた。私も一緒に帰国出来たら良かったのだが、犬を世話してくれる場所を見つけることが出来ず、いや、場所はたくさんあるのだが、納得できる場所が見つからず、私は残ることに決めたのだ。哲が帰国を決めたのは昨年の夏だっただろうか。あれから3月というずっと先の月の来るのを私はカウントダウンし始めた。ワクワクが伴うカウントダウンでは無く、不安を伴うカウントダウンだ。でもカウントダウンしながら私は一日も無駄にしないように心がけた。簡単なものでもご飯は丁寧に作った。毎日に感謝した。秋が来て、年を越し、冬が終わりかけてきた2月になると、いよいよだ、、とずっと先の月だった3月が、もう次の月になっていることに驚き、そして不安がさらに募った。

2月下旬になるとママからは「さっちゃんが哲宏さんが日本に帰国している間お留守番大丈夫かと心配症の私は今頃心配しています。なんとかハルちゃんとクルミちゃんをお願いする方はいないのかしら?さっちゃん大丈夫かと心配になってきました。」というメールが来た。

ママが心配してくれた治安も、一人で過ごすことも、買い物も、ハルとクルミの世話も私は「大丈夫だよ。」と言える。でも「大丈夫だよ!」と胸を張って言えないのは、哲が帰って来ないかもしれなかったあの時のトラウマが残っているからだ。少しでも思い出すと、一気にいろいろな思いと出来事が画像と共に目の前に再現されてしまい、「一人で家にいること」と「哲が帰って来るか分からない」という不安が結びついてしまい、胸がドキドキしてしまうのだ。

大丈夫 大丈夫 

自分に言い聞かせて当日が来た。

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当日の朝、おにぎりを2つずつ2セット用意することにした。具は痛まないように梅干。飛行機に乗る前に食べられるように、そしてまずい機内食を想定して機内でも食べられるように2セット作った。
梅干はこの日のおにぎりに入れたかったことを考えて、ずっと冷蔵庫に取って置いた。おにぎりを握るのが好きだ。空を見ながら哲の無事を祈りながらおにぎりを握っていた。その時、後ろから哲が来て、私の背中を抱え「ありがとう」と言った。

以前とは違う。倒れた時はおにぎりも持たせてあげることが出来なかった。

哲は必ず帰って来ると頭で分かっていても、やはり涙は出てしまう。涙ながらに見送った哲から写真付きのメッセージが届いた。

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おにぎり、美味しかった!!
(座席はエコノミーのままで)あえてアップグレードしなかった。疲れている帰りにするかも。
ここでセーブしたお金で競馬当てて、幸子にお土産ダア!!


哲はERで自分を失いかけ、その時が何年何月かも言えなかったあの時も(←クリック)、私が朝に喉が痛かったことを心配してくれていた。

お土産なんていらないよ。
無事に帰って来てくれれば。


そして、私はほっとして、この日を境に今度は嬉しいカウントダウンを始めた。

それにしても、2人の女性にこれだけ愛されている哲は幸せものだ。
お母さんは昨夏からずっとこの日をカウントダウンしていたことだろう。
お母さん、あと少しです!
あと少しでハグできますよ!

私のトラウマもきっと今回でまた少し癒されることだろう。だって帰って来るんだから。

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いってらっしゃい!
思いっきり楽しんで!
思いっきり!!



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富士山。

なんでメールアドレス聞かなかったの?
だってぇ、、、

そうだよね、こんなチャンス無かったよね。

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長年アメリカに住んでいて、初めからこんなに話しやすい人に出会ったことは無かった。それは犬用のクッキーを作るイベントでのことだった。皆が友達と来ているのに、私は一人で出向き、そして一番に到着した私の横のテーブルにたまたまた座った妊娠中の女性と、イベントが始まる前に会話がはずんだ。価値観、考え方、そして話のリズムが一緒だ!そう思った。
その女性の友達がやって来て、「ハイ、私はエミリー。」と自己紹介した時初めて、自分の名前を30分も話していたその女性に告げていないことに気付き、
「あ、ところで私はSACHIKO!」
「やだぁ、私達、30分ももう話して、お互いの犬のことも何でももう知っているのに、名前言っていなかったわね!私はキンバリー。よろしくね。」
あんなに楽しく話が出来た人と別れる時に、どうして連絡先を聞かなかったのだろう。
私が哲が迎えに来てくれるのを待っていたら、「サチコ!送って行こうか?」と聞いてくれた。
「うううん、大丈夫。今、主人が来てくれるから。またね!」
「うん、きっとまたどこかで会うと思う!」



テレビはリビングの真ん中にどんと構えているのに、この1年くらいリモコンに手を伸ばしテレビを付けたことがない。今となってはあの2つのリモコンをどのように操作するのかさえ、分からない。そう、ここ数年でテレビは全く見なくなった。

あれは数か月前のこと、テレビジャパンと言う海外向けの日本のチャンネルがお試し期間ということで、「期間限定」で無料でテレビを観させてくれていた。人は「地域限定」「期間限定」「季節限定」という「限定」という言葉に弱い。私以上に「限定」という言葉に弱い哲はそうと分かると、面白いと思われている番組を患者さんから聞き、めぼしきものを全て録画した。その中に「ブラタモリ」という番組があった。

日本から遠のいている私達にとってはどの番組もが目新しい番組で、一体どんな内容なのか分からない。幼い頃は本は全く読まないテレビっ子だったのに、今は全くテレビに興味が無く、いくら「限定」の番組と思っても、「絶対に面白い」という保証が無いと、なかなか観たいとは思えなくなった。

ブラタモリ観る?
哲観ていいよ。私はすることがあるから、付けていてくれたら適当に流して観るから。
そして哲はブラタモリを観た。私は横目で観ていたのに、いつの間にか、ソファに腰をかけていた。

小さい頃から知っていたタモリのことを私は全く知らなかったようだ。あのタモリはこんな人だったんだ。
私の中では「あまり面白くないコメディアン」的な存在のタモリは、こんな「普通の人」だったんだ。
そしてこんなにいろいろなことを知っている「普通では無い」人だったんだ。
タモリの話すその様子は、何だかパパを思わせた。そして急に親近感が湧いて来た。
そして、そのブラタモリという番組に、魅せられ初めていた私だった。

ブラタモリ観る?
今、することあるから、、、、他の観てくれる?後で一緒に観るから。

それからというもの、私はブラタモリを「とっておきの時」に観る番組として大切に取って置くようになった。ブラタモリを観る時が私がソファに座る唯一の時。

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(画像はお借りしています)
そして一番最近に観たブラタモリは富士山を登頂した時のものだった。何度かに分かれているシリーズだったが、何とか全て「無料」で観ることが出来た。
タモリを知らなったかように、母国の世界遺産のことを私は情けないほどに知らなかった。富士山の歴史、どのように形成されたか、そして人は何故富士山に魅せられるのか。

番組を観終わり、あれからもう数か月経っているというのに、ふとした時に富士山を思い、そしてタモリと一緒に富士山を登頂した専門家の方のあの言葉が蘇る。

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(NHKよりお借りしています)
富士山は何度かの噴火を経て、今の美しい形になった。
いろいろな要素があり、偶然にして今のあの美しい形になった。

そうだよねぇ、自然のものだから、人間が操れることが出来ないのに、あんな美しい形に納まったのは本当に偶然だよねぇ。

そして、その専門家はタモリに尋ねた。
「こうして富士山はいろいろな偶然が重なって今の美になったけれど、一番の偶然は何だか分かりますか?」

ブラタモリを観ていて驚くのは、専門家がいろいろな分野に渡り、タモリに尋ねる質問に、タモリが考えた末、ぽそっと言った回答がいつも当たっていることだ。しかも、それは普通の人が分からないような質問だったりする。

一番の偶然、、、、、それは、、

タモリがこの時に回答したのか覚えていないが、その後に言った専門家の言葉ははっきりと覚え、そしてその言葉が今もなお、ふとした時に頭によみがえって来るのだ。

一番の偶然は、、、
富士山が一番美しい形をしている時に、私達人間が生きていること。その美を見、楽しむことが出来ること。

地球の歴史からしたら、私達の生きている年数なんて瞬く間の出来事だろうに、タイミング良く、今、あの富士山の姿を見ることが出来る。
本当だ!なんて偶然で、なんて幸運なんだろう!

考えると、この世の中に必然なんて無いような気がしてきた。全て偶然ではないだろうか。
生まれたことから始まって、全て全て。
人との出会い、住んでいる環境、小さなことから大きなことまで、全てが偶然。
そう思うと、偶然に出会える全ての人、もの、出来事に感謝したくなる。なんて自分は幸運なんだろう。

数十万年前に最初の噴火が起こり、そして約一万年前に富士山が今の美しい形になった。その単位に比べたら、ほんの一こまの間に、私がママとパパの子供としてオギャーと生まれ、そしてそこは日本。世界的に美しい富士山がある日本。


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(Wikipediaからお借りしています)
ねぇ、哲、私達、やっぱり富士山に登らないと駄目なんじゃないの?
こんな綺麗な山に、しかも母国の山に、登らない訳には行かないでしょ。
このチャンスは逃せないでしょ。




全ては偶然で出来ている。そしてその偶然からチャンスを見出し、人は生き方を形成していくのだろう。

だから、どうしてあの時、偶然に出会えた気の合う人に連絡先を聞かなかったのだろう。
どうして、「友達を作る」というチャンスを逃してしまったのだろう。
そして、私はその偶然から必然を生み出そうと、家に帰ってから、彼女の名字を必死に思い出そうとした。
キンバリー、、ス、なんとか、、
なんだっけ なんだっけ、、

ドッグトレイナーをしていることしか分からないが、必死に検索をかけてみる。
もし見つかったとしたらそれは必然。私ががむしゃらになった結果である。
でもその必然は起こらなかった。
また偶然どこかで会えるまで待とう。
私に必要だと思ったら、きっと神様が偶然を起こしてくれるだろう。

さちこ、ブラタモリ観る?
あ、今日はまだすることがあるからぁ、、。
また違う日でお願いします。




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サフランライス。

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どうしてあのライスに惹かれるのだろう。

私達が訪れる度に、スースーは一か所だけ黄色く染まったサフランライスを必ず炊いてくれる。炊いてくれるというよりは、日本人にとっての白米と同様に「必ずなければならない」ものなのかもしれない。白米よりもあのご飯に私が強く魅力を感じるのは、白いご飯の中に一か所だけ染まった鮮やかな黄色が目を惹くからなのだろうか。
蒸し終わってから混ぜ、ところどころに散らばった黄色が、きちんとしていないのに、このご飯はあれが「完璧」な形なのだ。


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日本の真っ白なご飯は世界に誇れる「ごはん」だと思う。炊きあがった時のあの香り、そして艶。思い出すと郷愁と共に、もれなくその他の和食の映像が思い出される。湯気の立つお味噌汁、お漬物、お魚、煮物、、、、。他の国のお米とは違い、透明感のあるこの香り、そしてその佇まいは、「とても日本的」だ。そう、きちんとしている。

15年以上前にアメリカに赴任し、初めて日本を第三者的客観的立場から眺めることが出来た。その当時はアメリカかぶれの観光客気分だったから、アメリカのことは客観視することが出来ず、ただただ「アメリカ」を楽しんでいた。そして、チリに渡り、またアメリカに戻り、アメリカ生活が長くなるに従って、日本同様にアメリカにいながらもアメリカのことをやっと客観視出来るようになった。観光客ではなく、住人として、冷めた目で見ることが出来るようになってきた。日本の良さ、アメリカの良さ、日本食の特徴、アメリカ食の特徴、それぞれの良さ。

私は料理が好きだ。作るのも食べるのも見るのも好きだ。料理に関する本や番組であれば、はてしなく見ることが出来るだろう。料理雑誌をパラパラとめくっていると、近年では料理に国境がなくなりつつあるのを感じる。日本でも「アメリカ的」なレストランが増えているように、こちらでも和素材を使った料理や、それを出すレストランが増えている。しかし、同じ名前を持つ料理でも土地が変わると、やはりその土地の文化の色が現れ、アメリカの和食は和食になり切れず、そして日本のアメリカ食はアメリカ食になり切れていないように思うのだ。

日本人はとても真面目で律儀できちんとしていて、、、そう、だから料理も「きちんと」してしまう。人気のあるレストランがアメリカ料理を出していても、良い素材を使い美味しそうで、とてつもなく綺麗なのに、なぜか「アメリカ」を感じない。あと一歩のダイナミックさ、少し崩れるような盛り付け方、全てが均一でない様子はやはりアメリカ人にしか出来ないのかもしれない。雑であることが完全な形なのだ。昔ながらの、ママが作ってくれたような薄切り食パンに卵サンドは別の話だが、簡単なサンドウィッチにしても、アメリカンなサンドウィッチはやはりアメリカのものの方が美味しそうに見え、日本ではサンドウィッチは食べたいと思わなくなってしまった。

同じようにアメリカの和食は日本人シェフが作らない限りは、全く日本的ではない。定評のある料理雑誌が和素材を取り上げることが多くなった今日で、そのレシピを写真と共に紹介していても、どれも「これは日本人が作ったのではない」とすぐに分かるのは、ここ一歩というところで「きちんとさ」に欠けているからだろう。それに絶対にありえない食の組み合わせもある。それが目からうろこで、は!と思わせてくれることもあるが、でもやはり、その斬新な和食は「和食」では無いのだ。

アメリカに長く住むようになり、日本の文化から遠のいている私自身の中身が、どっちつかずだなと思うことも最近良くあるのだが、その自身同様に、料理もいわばどっちつかずかもしれない。だから他の人が作ったもののことはとやかく言えないのは分かっている。でもそのどっちつかずの中でも、アメリカで生活し良かったと思うのは、アメリカ的な料理の盛り付けや素材の使い方を少しでも肌で学べ「きちんとしていない」ことも魅力なんだと学べたことだろう。

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私がスースーのあのサフランライスに魅力を感じたのは、もちろん素晴らしいキッチンで調理されサフランの香りが良いこともあるのだが、白の中に混じる不均一な黄色に魅力を感じたからだ。日本人がサフランライスを炊くならば、おそらく全て薄い黄色に仕上げるだろう。現に私は今まで、ターメリックライスでそうしてきて、それが当たり前だと思っていた。部分的にだけ違う色なんて考えたことも無かった。そして、私は不均一なこのライスが炊きたいと思ったのだ。

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そしてスースーのご飯を炊いた。きちんとしないように炊いた。哲は「もっと黄色があってもいいね」と言った。あと少しのダイナミックさに欠けた私のサフランライスはやはり日本的なのだろうか。

スースーの不均一サフランライスを見ながら、白人の中に混じる黄色い自分を思ったりする。日本人である自分にアメリカでこれから何が出来るのだろう。サフランのように、小さくとも強力な香りとパワーを持つような存在になれるのだろうか。きちんとしている日本人の私は、アメリカの社会で頑張れるだろうか。

サフランライスのように、ゆるく大雑把に頑張ってみようかな。


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