ヴァージニア日記

アメリカで過ごす中で、毎日感じたことを記します。

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今の自分。


ヴァージニア日記ママが言う。「本当にハルちゃんは良い子ねぇ。アンディとは大違いだわっ!」お散歩の途中で行き交う人も通りすがりに言ってくれる。「SUCH A GOOD BOY!」そう、ハルはとっても良い子だ。我が家に来た最初の日から全く手の掛からない良い子だった。そして、その後も、哲と私で一生懸命に育てた。教えた。躾した。

「お座りできる?」とペットショップのお兄さんがトリートを手に私に尋ねる。「もっちろん出来ますよ。DOWNも。SHAKEも。」ハルはSTAYだってBED(ベッドで待機)だってバーン(ピストルで撃つ真似をすると倒れること)だって出来るのだ。そうハルにはいろいろなことを教えてきた。キッチンにはどんなことがあっても入ってこない。ハルのボールがキッチンに転がってしまっても、キッチンの境界線で絶対に立ち止まる。リビングの床に置いてある物も、自分のおもちゃ以外は触らない。触ったら私に「NO!」と言われるのを分かっているからだ。そんなハルを見て、私もたくさんのことを教えたんだなと思ったりもする。だけど、私がハルに教えたことは、私達の生活に従うように行動してもらうルールだけ。ハルが私に教えてくれたことに比べたら本当に本当に些細なこと。私がハルにルールを教えてあげたことの引き換えに私がハルから教えてもらったこと、それは「今の自分」になるのにとてもとても大切だったこと。ルールでは無くて「生き方」だった。

ハル無しには「今の私」は存在しない。ハルは人間の言葉も話さないのに、毎日毎日、根気良く、ハルの目でハルの態度で私に大事なことを教えてくれた。
ヴァージニア日記今日もとっても良い天気だ。紅葉を見上げながらハルと歩く散歩道。ふと下を見ると、2年前は引っ張り癖のあったハルがきちんと私の横をテケテケ歩いている。ハルも本当に歩くのが上手になったものだ。私はハルがきちんと横に付いて来ているのを確認せずとも歩くことが出来るから、ハルに気を取られず前を向いて、そして時には空を見上げて歩くことが出来る。あぁ、気持ち良い日だ。「そうだ、こんな日はちょっとルートを変えて大回りでお散歩を楽しもう!」2年前は毎日同じことをしていないと不安になり勝手に自分でタイムスケジュールを組み、自分のルールに束縛されていた私は、時間を考えずにルールも無く違う道を歩き始めた。そうだよ、かぁちゃん、好きな時にしたいと思うことをすれば良いんだよ。ハルが教えてくれたのだ。

ハルが来る前の私は体にも心にも自信が無かった。自分の体調も自分で整えることが出来ず、毎日、哲や家族に心配してもらい、支えられるようにそれにすがるように生活していた。体調が悪いと思ったら、家にじっとしていた。ところが、ハルが来てからは、そうは言っていられない。とにかく毎日ハルのためにお散歩に行かなくてはならない。そして、それから一日2時間は歩く日々だった。そうだよ、かぁちゃん、外に出ておいhしい空気を吸って歩けば元気になるんだよ。かぁちゃんは本当は健康なんだよ。雨の日も、雪の日も、寒い日も、暑い日も、歩いて歩いて歩いた。気付くと3年間、風邪一つ引かない自分がいた。
ヴァージニア日記そんなことを考えながら歩いていたら、ハルが急に止まった。「何っ?!」そして後ろに座り込んでいるハルを見た時、今まで前だけ向いて歩いてきた後ろの風景が視界に飛び込んで来た。「うわぁ、日の射し方でこんなに空が、木が、綺麗に見えるんだぁ。」そして私は空に向かってシャッターを押す。そうだよ、時々振り返ったら、違う景色が見えるんだよ。

今の私の心と体はハルが作りあげてくれた。私は今の自分がとっても好きだ。やっとやっとやっと好きな自分に巡り合えた気がする。ハル、かぁちゃんは、ハルにSITやDOWNくらいしか教えてあげることが出来ないのに、ハルはたくさんのことを教えてくれていたんだね。ハル、どうもありがとう。今日は雨だから外に出るのはやめようか、、、。それは2年前の私。今日は雨だけどもちろんお散歩だよね。今の私はリーシュを取る。さぁ、今日も歩くよっ!

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土曜日。


ヴァージニア日記午前中はいつもひっそりしているヴィレッジも、土曜日の朝はブランチをする人々で賑わう。哲が仕事の土曜日のハル散歩。私にとってはいつもと同じようにハルと二人だけのお散歩なのに、同じ道を歩いてもみんなは違う。そして私は休日を楽しむ人びとの気持ちをお裾分けしてもらうことが出来る。

最初はみんなが「誰かと一緒」にいる土曜日が好きでは無かった。自分だけが一人ぽっちでいるように思っていた。でも、今日、歩いて気付いた。私も土曜日を楽しんでいる。

カフェのウィンドウを見ながらハルと歩く。音は聞こえないけれど、みんなの笑顔から会話が読み取れる。嬉しそうな口からは音無しの笑い声も聞こえてくる。友達と、彼と、そして家族と。子供に話しかけているお父さんの笑顔を見て心が温まり、キュンと嬉しくなった。ここにいる人はみんな幸せな人達。この時を、オムレツと一緒に、フレンチトーストと一緒に楽しんでいる。私は左手にハルのリーシュを持ちながら、そんな窓に顔を向けながら歩く。家族や友達から視線をはずし、窓からふと外を見て私達に気付いた人は、テコテコ歩くハルを見て微笑む。そして私にも微笑んでくれる。音無しの「こんにちは。」。

土曜日の朝が好きだ。哲が午後に帰ってくるのも待ち遠しいけれど、土曜日の朝が好きだ。土曜日っていいな。

思春期。


ヴァージニア日記「さっちゃん、全然変わっていなくて嬉しかった!でも、昔のあのピンクのお洋服着て、小さな可愛いバッグを持って歩いているさっちゃんとは違うさっちゃんになったんだなぁ、頑張ってるんだなぁ、、、って思ったよ。」
受話器越しに理香ちゃんがそう言ってくれた。

10年前の私は、理香ちゃんが覚えていてくれているように、ピンクのワンピースを着て、手にはいつもショルダーではない小さなバッグを持って銀座の会社へ通勤していた。毎日が楽しくて、女学校に通う少女のような気持ちでの通勤生活だった。社会へ出ても、両親のお陰、そして周囲の人々のお陰で私は挫折や困難を味わうことなく生きてきたから、それはそれはピュアな女の子だったと思う。毎日が楽しくて、いつでも笑顔で、もちろん小さな辛いことや哀しいことがあったけれど、一体それがどんな哀しいことだったのかも今や思い出せないくらいだから、大したことが無かったのだと思う。

そしてそんな私も晴れて結婚し一人前になる一歩を踏み出した。ところが、私は名前の通り、本当に幸せな子で、結婚して共働きしている時も、一度も「大変だ」とは思ったことが無かった。それだけいろいろな人に支えられていたのだろう。

ママからメールが来た。「典ちゃんは、佳奈は反抗期だと言っていますが、さっちゃん達も反抗期があったのかしらと思っています。私はもう昔の事で忘れてしまいました。私が感じていないだけでさっちゃん達は心で思っていたのかもしれませんね。パパも感じなかったと言っています。」反抗期?思春期?それは一体いつだったんだろう。

結婚生活も3年経った頃、哲はアメリカ赴任を言い渡され、若い二人は若い気持ちのまま渡米した。そこで私はジョージタウン大学で英語を勉強し直し、まさに勉強尽くしの高校生のような生活を送った。クラスメートは18に始まってほとんどの子が私よりも若い子達だったのに、28の私は浮いているような気がしなかった。そしてみんなも私を同じ年代の友達として受け入れてくれた。この時は気付かなかった。そうだ、私は生まれて28年経っていたけれど、きっと心と頭は高校生のまま、思春期を迎える前で止まっていたのだ。

思春期とは、、、、「自分とは何か」「自分は何をしたいのか」「自分は何を求めているのか」というような自分さがしを始めていく時期。

流れに任せて頭を使わず毎日を楽しく生きていた私の思春期は、最初のアメリカ赴任でも始まらなかった。うわぁ、毎日が海外旅行みたい!なんて暢気な生活を送っていた私には、自分を見つめることすらしている暇は無いほど、楽しい日々を過ごしていた。そしてチリに赴任した時、何やら様子が変わってきた。今までのようには行かなくなって来た。ここで私の思春期がようやく始まったのだった。日本の裏側にあるチリで、孤独を感じ、一人の時間が増える。「自分とは何か」「自分は何をしたいのか」「自分は何を求めているのか」。。。。。。考える時間が出来た。

一気にいろいろなことが押し寄せてきて、私の頭と心はあっという間に飽和状態になり、自分を見失った。今までいつも笑顔でいる自分が自分、どんな状況でも楽しくしていることが出来る自分が自分だと思っていたのに、笑顔になれない自分がいることに気付いた。辛いことが多くなった。一体私はどうなってしまったんだろう?今までの自分がいなくなって、もぬけの殻になったような感覚に襲われた。

そしてテキサスに移り住み、私は相変わらず暗中模索で、必死に自分を見つけるために、必死にいろいろなことにチャレンジした。死に物狂いで勉強したり、ヴォランティアをしたり。極限の節約生活もした。辛いなんて思ったことは無かったけれど、毎日を一生懸命に生きていた。それでもまだ「自分」を確立できずに、物質的な体はかろうじて皮膚に覆われているから「わたし」を維持できているものの、中身はゼリーのように柔らかな、捉えようのないものが渦巻いているように感じていた。

チリの頃に始まった私の思春期は、ようやく最近終結しようとしている。思春期の頃の自分を写真で見るのが大嫌いだった一年前。写真を見るたびに、その時の勝手な苦しみ、もがきみたいな物が思い出されて、写真を撮り、アルバムを作るのが大好きだった私が、アルバムを隠すように仕舞い込んだ。

昨日ふと、今までは見るのも嫌だった3年前の自分を見た。白い顔、今よりも7キロ痩せた体、顔は笑っているけれど、心からの笑みではないのは私が一番分かっている。見るのも辛かったこの写真を見た私は、「あぁ、良く頑張った。。。」と今まで顔を背けていた写真を真正面から見、今のこの状況に無限の幸せを感じた。

哲はその間、何も言わずに、ただただ私を見守ってくれた。そんな哲のお陰で私はようやく自分を確立することが出来た。「自分とは何か」「自分は何をしたいのか」「自分は何を求めているのか」

そして、今年の夏に遊びに来てくれたお母さんは「幸子さん、良い顔になったよ。」と言ってくれた。

久しぶりに会った理香ちゃんは、「さっちゃん変わっていないね」という言葉の後に、「頑張ったんだね」と何かを感じ取ってくれた。ようやく私は自分が年相応になったのだと思う。うん、染みはたくさん増えてお肌に張りもなくなったけれど、私は今の自分が大好きなんだ。やっと見つけた自分、まだまだ成長の可能性を秘めた自分。さぁ、やっと思春期が終わった今、これから社会へ飛び出すぞっ!

そう思った時に、長い時間かかった就労許可がやっと下りたのだった。



アメリカの季節。

元旦。あぁ、やっぱりお正月は日本だよねぇ。ママのお雑煮食べたいなぁ。そして、春。あぁ、霞ヶ関の桜、綺麗なんだろうなぁ。。恋しいなぁ。。さらに5月になると柏餅が恋しくなり、鬱陶しい梅雨でも、雨の中かりんと行った鎌倉の紫陽花が恋しくなる。梅雨も明けると日本のうるさい蝉の声が聞きたくなり、それと共に、カキ氷を連想する。そして、秋。栗にさつま芋に松茸に。日本ってなんであんなに季節に合わせて美味しい物が次々に出てくるんだろう。あっという間に大晦日も迫るともう気分は御節料理。こうして「日本っていいなぁ。」と呟いて一年が終わり、それを何年も繰り返してきた。
ヴァージニア日記
アメリカには「旬」の物が無かった。春にスーパーに行っても筍を見ることが出来ないし、夏には大好きな茗荷も紫蘇も並ばない。秋だからといっても通年同じ場所で売られているマッシュルームとポルトベジョを手に取るだけで、「あぁ、秋のきのこ」が食べたいなぁとぼやいてしまう。冬になったらお鍋の季節で、白菜や大根などを買いたいのに、私はまたピーマンとズッキーニと人参を手に取っている。あぁ、日本ってやっぱり素晴らしい。。。。美味しいし美しい。。。
ヴァージニア日記
そう、日本は素晴らしい。日本にいた時は気付かずにいたことを認識させてくれたのがアメリカ生活だった。ところが、そのアメリカ生活は、さらに私に新たなことに気付かせてくれた。それは、アメリカにも「旬」があるということ。アメリカも美味しくて美しいということ。アメリカも素晴らしいということ。きっと私の心は日本の生活から抜け切っていなかったのだ。私の頭のカレンダーは日本の催事をメインに考えていた。自分で選んだアメリカ生活であるにも関わらず、まだ日本に未練を残していた。そしてやっと最近、私は心も体もアメリカに住むようになったのだ。
ヴァージニア日記
あぁ、ポトマックのほとりの桜は最高だぁ。みんなに見せてあげたいなぁ。このアメリカの5月の空と緑は光っているね。みんなに見せてあげたいなぁ。こんな色のツツジの群れがあるんだぁ。みんなに見せてあげたいなぁ。夏のベリー類、これぞ夏だねっ!桃も美味しいなぁ。みんなに食べさせてあげたいなぁ。やったやった、秋が来たっ!りんごにパンプキンとスパイスの香りっ!もうそこまでホリデイは来ているんだねぇ。この雰囲気、みんなに味合わせてあげたいなぁ。紅葉、なんて綺麗なんだろっ!街中、赤や黄色の木々。秋空とのコントラストは溜息が出るほど美しいね。みんなと一緒に歩きたいなぁ。そうそう、そろそろサンクスギビングっ。アメリカ人にとって日本人のお正月のようなサンクスギビングはまさに食のビッグイヴェントっ!ターキーに、クランベリーソースに、パンプキンに、芽キャベツに。あぁ、美味しい物がたっくさんっ!みんなと一緒に食べたいなぁ。あ、もう、店頭にはクリスマスのお菓子が並んでいるよっ!ドライフルーツたっぷりのケーキに、可愛いお菓子達っ!あぁ、一年、楽しいことだらけだなぁ。。。。アメリカって素晴らしい。
ヴァージニア日記この一年、私は体も心も季節を楽しむことができた。日本の季節ではなく、アメリカの季節を。アメリカにも季節はあって、その時々に、いろいろな「気持ち」を運んで来てくれる。もちろん、茗荷も、栗も、美味しいホックホクのさつま芋も無いけれど、日本には無い景色や香りや味がたくさんあることに気付き、それを楽しみにしている自分にも気付いた。そして時に送られてくるママからの、友人からの「日本の旬」を懐かしみ、楽しみ、そして感謝し日本を思い出す。
ヴァージニア日記
アメリカは今、サンクスギビングで大忙しです。日本はどうですか?日本は今は何の香りがしますか?そろそろ銀杏の季節かなぁ。。。

金平糖。

私は虫が大嫌いだった。どんな虫も天敵だった。そんな私におばあちゃんが言った。「朝の蜘蛛は天国からの蜘蛛、夜の蜘蛛は泥棒蜘蛛、だから朝の蜘蛛は絶対に殺したら駄目よ。」そしてその言葉は、小学校の時に通っていた国語の塾で強要され仕方なく読んだ「蜘蛛の糸」でさらに意味のある言葉となった。そう、蜘蛛だけは殺してはいけない。蜘蛛だけは無下に扱わないで私は大人になった。

部屋に忍び込んで来た蜘蛛を今まで何度と無く救済した。蜘蛛を傷つけることなく、大事にそっと外へ逃がした。蜘蛛は動きが比較的遅いし、糸を利用して上手に逃がすことが出来る。しかし、飛ぶ虫、ハエとなるとかなり難しい。

ハルが何かを目で追っている。それは大きなハエだった。この家に引っ越してきてから、初めてのハエかもしれない。一体どこから入ってきたのだろう?今日はヴォランティアだから私は留守にする。その間に、ハルがパクリなんてしたら嫌だから、早目に逃がしてあげなくちゃ。そして、部屋の電気を消して明るい窓へハエを追いやったのは良いけれど、我が家の網戸は開かない網戸。私の寛大な意図を汲まないハエは、逃げようと必死に動き回り、やっとの思いでそのハエを使わないガラス瓶で覆うのには数十分もかかってしまった。ふぅ。そして、瓶の口に薄い紙を滑り込ませて蓋にして、動き回るハエを見ながら「今に私が優しいってことが分かるよ。」と心の中で言い聞かせながら、そのまま外に出してあげた。ハエは青空に向かって飛んで行った。あぁ、これで安心。

ママからメールが来た。「アンディ散歩の時に我が家から道路に出る途中に川谷さんの石塀のところにアリの巣があります。私が以前から古い金平糖を散歩中にあげていたのですが最近アリはもう冬ごもりなのかあまり元気がないのです。でも、私とアンディが歩いていくと小雀が六羽ほど最近は私がくるのを待っていて、アンディのビスケットを崩してあげますとすぐに食べはじめます。その時アンディにも少しあげます。始めはアリにあげていたのですが小雀も食べていたのがびっくりでしたが私がくるのを待っていてくれるのは少し嬉しい気持ちです。」なんとも心がホンワカするメールだった。それにしても、ママ、蟻にまでおやつをあげるなんて、そんな人、聞いたことがないっ!そして私は「蟻は敵だと思っていたよ。。」とメールを返した。するとママからまた返事が来た。
ヴァージニア日記「蟻の事ですが、今年の春頃から蟻の穴の所に金平糖を置いてからアンディの散歩に行き、帰り道になるとなくなっていたりしていました。茉莉が我が家に来た時に、茉莉がその蟻の穴を足でこわしたので「蟻さんがかわいそうだから壊さないでね」と言ったらポカンとしていました。ふつう蟻は皆さんいやがりますよね。本当に私とアンディが歩いて行くと小雀がいつもの蟻の巣がある所の塀や電線に6羽ぐらいで待っていてくれます。本日は古いパンがあったのであげましたら鳩がきそうになったので小雀の分をとられそうになったので明日はビスケットにします。道を通る人が不思議そうに見ています。たぶん私の西宮のおばあちゃんが、流しにお湯を流すと生き物が死ぬからお湯を流す時は水も流しなさいと言われていた為だと思います。私のおばあちゃんはすごく仏教心があったと思います。」

私にとってママは「ママで完結した存在」だけど、ママにももちろんおばあちゃんがいたんだよね。そして、そのおばあちゃんから大切なことを小さい時に教えてもらったんだね。お野菜などを茹でた熱湯を、私は殺菌消毒と思って、わざわざ流しに回しかけたり、まな板にかけたりしていたけれど、「生き物」を殺すなんて考えたことも無かった。

私は大好きなおばあちゃんから「蜘蛛を殺してはいけないよ」と教えてもらった。そして、9歳の茉莉は、おばあちゃんであるママから「蟻の巣を壊さないでね。」と教わった。茉莉はママの年、おばあちゃんになってもきっと、そのママの言葉を思い出して蟻を大事に思うんだろうな。大好きな「おばぁちゃん」に言われた言葉をずっと覚えていて、そしてその言葉をまた茉莉の子供、茉莉の孫に伝えていくんだろうな。

私も今日から蟻も大事にしなくちゃね。それにしても、金平糖なんて高級すぎる。古くても私が頂きたいくらいだ。

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